Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

1950〜60年代の感覚と絵画/写真というメディア

 きわめてしばしば、飛行機からは何も見えないと言われます。航空会社の職員でさえ、自社の「製品」を推奨すべきなのに、わざわざ窓際の席を求めるまでもありませんよ、どっちみち雲しか見えないのですからと、お客さんにはっきりと言うのです。雲だけでもすでに驚くべき光景ですが、さらに雲のあいだに、あるいは晴れているときに見えるものは、まったく新しい風景、あまりに新しくて私たちにはまだその見本がないような風景、比較し、参照し、分類するための用語も知らないような風景なのです。残念なことに、空からの風景を描いてくれた画家はほとんどいません。地上で風景を見ているときなら、それを私たちの教養のなかの、私たちの通常の美術館のなかの何とくらべればよいか、わかっている。私たちは自分の見るもののなかから、たとえばクロード・ロランの絵のような風景、ロイスダールの絵のような風景、近代で言えばクロード・モネセザンヌのいくつかの絵に描かれたような風景を切り取っているのです。しかし、飛行機のクロード・モネはまだいままでのところいない。
 それどころか、飛行機から見えるものを私たちに語るための方途を見出した作家もほとんどいない。飛行機の円窓から外を眺めて私たちは、最初のごく短いあいだは驚嘆するのですが、やがてそれをどう語ったらいいのか、どう名づけていいのかわからず、美術館にあるものと比較することもできずに、やがて見るのを諦めてしまう。航空写真がすこしづつ私たちに比較のための用語をあたえてくれつつあります。私はいまスイス航空のポスターを思い浮かべているのですが、あのポスターはたしかに、飛行機の利用客ばかりかパイロットをはじめとする機内の全従業員にも、いや幹部社員にも空からの風景の見方をおおいに教えてくれたものでした。私は飛行機の円窓から外を眺めることが好きで、飛行機からの眺めを書こうと努力してきました。

ミシェル・ビュトール『即興演奏 (アンプロヴイザシオン) ─ビュトール自らを語る』 第九章・三七「飛行機から見た世界」より。
上記引用部分に続いて、アメリカ合衆国の風景、そして、自作『モビール』とジャクソン・ポロックについて語られています。
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