Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

22〜23年前のニューアカ鼎談集(http://www.amazon.co.jp/dp/4061843591)

小野英樹さん(http://www.ono-studio.com/)との対話の中で出てきた本。
少し調べてみました。


◇ EV. Cafe 超進化論【村上龍坂本龍一】 - 中島みゆき研究所

【目次】
Stage 0 快感 7
 時代という現場
 日本的な音楽の土壌への拒否
 音楽の快感原則
 吉本隆明への危惧
 戦争回避による欲望のはけ口
 コンピュータ・グラフィックス的操作の時代
Stage 1 表現 吉本隆明 41
 音楽と言葉の差異
 聖域としての音楽
 中島みゆきの音楽
 女性が子を産む強さ
 中上健次の困難き
 言葉の自壊作用
 ポップの波
 父権社会の崩壊
 母性の喪失
 人間には内部はあるのか
 言語の内部と外部
 テクノロジカルな操作が表現
 物語の解体の果て
Stage 2 生物 河合雅雄 97
 サルから見た人間の実像
 なぜ人は二本足で立ったか
 性と攻撃性
 三五○万年のうちの一万年
 狩猟民の時間
 分子レヴェルでの思考
 「考える脚」
Stage 3 金属 浅田彰 133
 『構造と力』が興奮させるもの
 経済の破綻をまねくカリスマ
 国際通貨のギャンブル性
 経済ネットワークのリアリティー
 アメリカ文化の面白さ
 異種交配から生まれるもの
 この時代に戦略が立てられるか?
 アメリカと日本の差異
 高橋悠治グレン・グールド
 メタリック音のもたらすもの
 高エネルギー振動から溶解へ
 日本的平準さを破るもの
Stage 4 外部 柄谷行人 199
 日本的ポストモダンの中で
 コカ・コーラは思想だ
 消費社会での情報と差異
 神秘主義へ導くもの
 民主主義とチューインガム
 批評の権力意識
 内面のない苦しみ
 マシーンとしての自己
 アメリカ的とヨーロッパ的
 アメリカの底力
 日本的普遍という制度
 外部の獲得
 パラドックスとしての独創性
Stage 5 凡庸 蓮實重彦 247
 映画と日本人の顔
 進化と凡庸
 一流志向の脆弱さ
 逡巡と排除
 コッポラの混乱
 ゴダールとマキノ
 言葉における「制度」
 匿名の声として響くもの
 映画の顔と音楽の声
 多様性のなかの人生
Stage 8 速度 山口昌男 289
 今は往年の名スター
 小錦スキゾ力士論
 周縁理論と落書マンガ
 ヒューマニズムは陰謀だ
 ブラジルは世界最後の救い
 欲望全肯定の暴力
 カーニヴァルの都市
 スピードとリズムのファシズム
Stagee X 序走 323
 エレクトロニクス・ゲリラによる情報の撹乱
 「ブレードランナー」における神の復活
 ハイパー・ムービーの出現
 テクノロジーと超プラトニズム
 三五○万年の記憶
 核時代の新人類の予感
 テクノロジー一神教
 物語の不健康さ
 テクノロジーの回避としてのアジア主義
 超情報社会の新日本主義
 ソフトなシステムとしての天皇
 日本は大規模集積回路
 近未来のユダヤ教天皇
注索引 365
図版リスト 366

http://www.miyuki-lab.jp/biblio/book/e851128.shtml
興味深い見出しがちらほら。
しかし時代を感じさせます。。。


◇ EV.Cafe - 読書ノート

村上 内部があって、ものを書くんじゃなくて、言葉っていうのはア・プリオリ(前もって与えられた)にあるもんだから、それを書いた瞬間に内部が生じるんだと。まあ内部の蓄積っていうのはテキストとして俺たちの前にあるわけだからさ、それはしようがないけど、でも、やっぱり、内部があって何かをするんじゃないんだよ。

柄谷 だからね、神秘主義の決定的にいやらしい問題っていうのは権力の問題だと思う。他人を支配するという根本的な動機を神秘主義に感じる。一般的にマジック(呪術)というのは、自然を支配するかわりに人間を支配する戦略だけれど。

坂本 今のをフォローすると、テクノロジーが進歩して、外部というのがなくなってくるわけ。すべてが内部になってくる。そうすると、極端な、超プラトニズムしかなくなってくるんだよね。つまり、どこにあるかわかんないけど、脳の情報が持っているイデア、青写真ね、それなくしてはテクノロジーは働かないわけで、しかも、それを完全に実在化することに極端に走っていくわけね。

http://www.kaimei.org/note/book_in/ev_cafe.html
イーヴィー・カフェからの抜き書き。


◇ なんだか、バッハってすごいね/『社会の窓2』からご褒美届いた - Oppekepe Diary

『たとえば非常にまれな可能性としてね、ヒョウが降ってきて、何かに当たって、その音が偶然バッハの「パルティータ」になったっていうことは考えられるわけでしょ。いわばそういうような弾き方をしてるからね』(高橋悠治氏の演奏について)

http://kazu5210.hp.infoseek.co.jp/Diary_Sep99/091199.html
同書より高橋悠治さんについての坂本龍一さんの発言。