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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ストローブ=ユイレ最新作公開 - プラネットプラスワン - PlanetPlus1

1月10日(土)〜1月16日(金)
〒530-0016 大阪市北区中崎町2丁目3-12 パイロットビル2F(中崎第2ビル)
TEL (06)6377-0023 mail:cinema-planet1@y2.dion.ne.jp
○地下鉄谷町線中崎町駅2番出口より徒歩約1分
○JR大阪駅より徒歩約15分
○阪急梅田駅・茶屋町口より徒歩約10分

一昨年にダニエル・ユイレが亡くなってストローブ=ユイレのチームは解散となったが、まだまだストローブは精力的に活躍する。今回はユイレ亡き後の最新作も含み、デジタルで撮影した短編などとともに60年代の代表作も上映!

ジャン=マリー・ストローブ(Jean-Marie Straub、1933年1月8日 メス -)と、ダニエル・ユイレ(Danièle Huillet、1936年5月1日 パリ - 2006年10月9日 ショレ)の二人が完全な共同作業で映画を制作し、通常は連名標記される。
ストローブはフランス領とドイツ領を行き来をした経緯を持つメス(Metz) で生まれ育ち、シネクラブなども主催しロベール・ブレッソンやカール・Th・ドライヤーの作品に熱狂していた。
高等映画学院(IDHEC)進学のためにパリに上京。当時ソルボンヌ大学生だったユイレと知り合う。そのころフランスでは「ヌーヴェルヴァーグ」の胎動期であり、シネマテーク・フランセーズで知り合った、ゴダールロメール、リヴェットらと親交を深め1956年、ストローブはリヴェットの35ミリ撮影の短編『王手飛車取り』の助監督にも務めた。
しかし58年、ストローブはアルジェリア戦争への荷担を拒否するために懲役を忌避し、ユイレ共々ドイツに亡命。ドイツで長年構想を温めていた短編から製作を始め、ドイツにおける「ニュージャーマン・シネマ」の胎動期に大きな影響を与えた。『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』は「ニュージャーマン・シネマ」の最初の収穫として世界各地で絶賛された。
以後、ドイツとイタリアを中心に活躍し、他の監督とは一線を引いた存在としてゴダールと同じように映画を探求しつづけ、60年代以後の「現代映画」の巨匠とされるようになった。2006年に長年連れ添った夫人でもあるダニエル・ユイレが亡くなったが、以後は単独でも監督を続けている。

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