Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

上田高弘:スペシャル4_1:下フレーム

037/ 2001年1月14日(日)
[なぜこのひとりの批評家について書き続けるのか、の自問とともに――]
 1983年論文におけるフリードが分析するカロについて、かつてぼくはこう書いた――「それ[=テーブル]はたしかに作品ではないが、さりとてたんなる台座なのでもない。駄洒落ではなしに書くのだが、それは存在論的にはハイデガーの「大地」のごとくにして作品を支え、しかし同時に、認識論的には当の作品がその場所を大地から一段高まった、いわば「台地」として規定する」と(『美術フォーラム21』第2号, 2000年5月)。
 いまこの駄洒落〔レトリック〕をもう少し体よく更新することが許されるなら、ここはマルクス主義――敵方クラークがそこに属する――の名を召喚したいものだ。文化や宗教といった上部構造(作品)が土台(大地)の上にしかありえないとの決定論マルクス主義がとるのなら、フリードのいう相互的な作品/台地の関係は当然それとは相容れまい。だが、真正のマルクス主義こそがそのような相互的な関係を主題化するものであるなら――じっさいクラークの研究はそれゆえに新しいのだが――それは同根の主張をなしているわけで、したがって対立であるはずがない。フリード対クラークの論争の、論争としての堕胎は、じっさいこの点に由来するというべきではないか、と。
 他方、同じフリードがその論文の末尾で、それまでの分析を台無しにする可能性すらを(「ここまでの考察を踏まえながらも、一歩踏み込むかたちで、最後に一言」といって)自覚しながらこう書くとき、われわれはフリード自身に導かれて、彼の1983年論文はむろん、あの1967年論文をも過去のものとする(東浩紀の『郵便的、存在論的』が浅田彰の『構造と力』をそうしたように[笑])ことができるであろうし、またこうしてあの約定拘束主義(conventionalism)から解き放たれた瞬間に、マルクス主義者クラークとの真の対立が現出する。――「《テーブル作品第二二番》が芸術であるとの確信は、徹底的分析に抗うような何ものか、たとえばそのメタリックな光輝を発する灰緑色が他のすべての要素にたいして有する適切さまで含めた、作品のなかで作動しているすべての関係の正しさ(ライトネス)に、もとづいている。批評家がまず責任を負うべきは、その種の正しさにたいうる直観なのであって、またその直観のゆえに批評家は直接に報われるのである。」

http://www5a.biglobe.ne.jp/~tut07770/ps_special/special4/special4_1B.htm


◇ 上田高弘:スペシャル4_2:下フレーム

 それを読んで一から勉強しようという者がいまだにあとを絶たない『モダニズムのハード・コア』(『批評空間』臨時増刊号、一九九五)に、グリーンバーグの読みにかんするT・J・クラークとマイケル・フリードの論争(一九八二―八三年、計三本)を訳出したさい、その「訳者あとがき」に訳者(=本稿の筆者)は、いわせておけばいいのにクラークもまたマジになってフリードの反論に再反論して、といった感じのことを書いた。くわしくは振り返らないが、クラークによる初期グリーンバーグの精緻なマルクス主義的読解を、フリードは勝手に対象を後期グリーンバーグにおきかえておおいに我田引水、しかも多元主義なんかあったものかといわんばかりの非民主的な文体で、本来は冷静である(ことができる)はずのクラークさえを最後はさすがに喧嘩腰にさせていた。そう、フリードの名を美術批評史上に刻むこととなった「芸術と客体性」(一九六七年、以下「六七年論文」と略記)をはじめとして、いつもそうなのだ。そのパフォーマティヴな書きっぷりにひとはいらだち、であるがゆえに、「芸術は演劇の状態に近づくと堕落する」といった一見暴論としかいいようのない言辞に(暴論だったら無視すればいいのに)噛みつき、別の者がまた同じ噛み痕に歯を立てるのがくりかえされる始末なのである。

 だがそれにしてもフリードの場合、彼は批評家としては一九六〇年代の中葉のたった五年ほどのあいだに主要なもの(右の六七年論文の題をタイトルとした単行書[一九九八]でいまではそれらを一気に読むことができる)を残して、あとは美術史の世界へと風のように去っていったというべきである。もっといえば、批評家としては終わったのである。そして数少ない例外のうちのひとつが、右の論争における発言なのであった。

グリーンバーグの批判的研究をなしたクラークよりも、皮肉にも文字どおりのグリーンバーグ批判の論調を強くすることとなったその反論「モダニズムはいかにして作動するのか」(一九八三年、以下「八三年論文」と略記)においてフリードは、「盟友」の彫刻家カロの作品を口実〔ダシ〕にするなどしながら、六七年論文で語った内容を微妙に更新することになる。「どのような手段によって小さいながらもけっして大作の模型とも縮小版とも受け取られようのない彫刻をつくることができたのか」の、一見すると些細な問いへの以下の解答は、この書き手の捩れた思索の特徴をよく物語るがゆえに長いがたっぷり引用しておく価値がある。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~tut07770/ps_special/special4/special4_2B.htm