◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年10月23日 - Twilog
再囀:今回のスイス滞在ではClement Greenbergの名前を誰の口からも聞いていません。Michael Friedは1度だけ。"Like Michael Fried's legacy? Ha-ha!"という感じ。古い考えへの固執をフリードになぞらえて笑い飛ばしていました。
2009年。日本式アメリカン・フォーマリズム?も完全スルー。【Painting Abstraction: New Elements in Abstract Painting by Bob Nickas (Phaidon Press)】http://j.mp/1acnebJ
高橋辰夫さん×椹木野衣さん(2001年10月22日)“フォーマリズムそれ自体の意義が別段間違ってるとは思わないけど、そこで語られてる「フォーマリズム」はほんとうにフォーマリズムなのか? っていう疑問がないまま絶対視しても、それは宗教みたいなもので、よくNHKホールとかで日本語で
肌が黄色いことに気付かないままオペラとかやってる滑稽さと変わらないと思うんですよ。本人達は本格派を気取ってるんだけど、客観的に見たらキッチュにしか見えないっていう”http://j.mp/1acnVSg ※もちろん形式的な分析思考自体はまだまだ使いでがあるとは思いますが。
再囀(グローバル/ドメスティックで考えれば、コップの中の嵐にすぎないのでしょうけども……):【冷戦について】http://bit.ly/pwHGDG ※批評誌『REVIEW HOUSE 01』「after words」より、筒井宏樹さんの編集後記。
その一方で2013年にもなって「反芸術」(半世紀前の話。循環史観でリサイクル?無理でしょう。http://j.mp/GQ6tCM )などを掲げて何かをやっているつもりになれるのは日本的な幸福(欺瞞)なのでしょうが、この残酷で悲惨な環境を変えることは不可能ではないと思います
単なる否定性に貫かれた作品の薄さ・弱さについて思考したことのない者が、きちんとやっていけるとは到底思えません。日本的状況では一部で通用するのかもしれませんが、当の否定の対象が卑小かつズレすぎてたいして意味がないことが殆ど。ローカルでも普遍性があれば話は違ってくるんでしょうけども。
単に否定すべき対象(内輪ネタ)に依存しているからそれが成立だけだと何故気づくことができないのか?問題。時代時代の流行の推移に合わせて、カギカッコ付き「反芸術」を俺イケてるだろ的につくっていても、それは外部から客観的にみれば単に一貫性のないものを気侭にやっているだけだと判断されます
しょぼい内的なロジックを後付けで強弁しても、それはムリだという話。っていうか、こうしたことはワークショップレベルの事柄。「カルチャーセンター」でいつまでも意気揚々とイイ気になっていたい方には、カラオケ的にそうしたものを楽しんでいればカタルシスも得られるし心地よいのでしょうけども。
もちろんです。むしろ、メディウム・スペシフィシティに対して、今どのようにオリジナルなスタンスやアプローチがとれるのか?といったことがスタート地点だと思います。<@ka2saiki これ誤解のないように付け加えると、あたり前すぎてそんなこと今更誰も言わないということで、知らないとい
.@ka2saiki ひょっとしたらグリーンバーグはそうではないのかもしれませんが(故人ですし)、マイケル・フリードは少し(というか、かなり)小馬鹿にされているという雰囲気を感じました(その話を聴いていた人々の反応を含めると)。もちろんバーゼル・ローカルの状況なのかもしれませんが
そこがアーティストという存在が社会的に認められている場所なのだとすれば、すでに与えられたグリッドの上をうろうろしているような人がアーティストであっては意味がないわけで、教条的なものに付き従ってやっているのであれば社会的職能を全うできていないのでアナタ必要ないよねという当然の結果に
裏を返せば、その存在が社会的に認められていない場所であればこそ、アーティストとしての社会的職能を全うしていなくとも(そんなものはそもそも期待されていないし、社会的な機能として実装されていない)、なんとなく吹き溜まっていけるわけでしょうし、ぬるーく、ゆるーく。なんて思ったりとか、、
【資料 2013-10-24】http://j.mp/16u2ZBI
http://twilog.org/n291/date-131023/allasc
◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年10月24日 - Twilog
ツイートの後半にリンクがありますので、抜粋は一部分でありますが、ご覧になってみてください。http://j.mp/18dfnWu http://j.mp/18dfrWj <@ka2saiki これ福居さんのリンク先がきれていたようですが、資料としてどこかで読めるかた
地域にもよるとは思いますが海外のアーティストも特定の理論に興味を持たないかぎり、原著には当たらないと思います。リーダー的な書物が充実しているのがその理由なのでしょうけども。<@ka2saiki ニューヨークも、今さらグリーンバーグが…、などと言うペインターはいないと思いますが、
『Art in Theory 1900 - 2000: An Anthology of Changing Ideas』http://j.mp/18dgoxL とかも基本中の基本なんでしょうけども、僕は読めていません。<@ka2saiki ニューヨークも、今さらグリーンバーグ
その辺りの歴史に疎くてなんともですが、大戦後の欧州各国の疲弊具合とか、フランスでいえばアンフォルメルからヌーヴォー・レアリスム、シュポール・シュルファスあたりまでの流れについて調べておかねばとは思っています。<@ka2saiki ヨーロッパのアメリカモダニズム理論の受容はわりと遅
レオ・キャステリ(1939年)もイリア・ソナベンド(レオと離婚後1962年)もまずパリで画廊を開いてそれからNYに移ったということや、そこで取り扱われていた作家についても気になっています。また、ゼーマンらがどの画廊経由で欧州にアメリカン美術を紹介したのかも。<@ka2saiki
Peggy Guggenheim http://j.mp/1a8zGLd Betty Parsons http://j.mp/1a8zZ8X Sidney Janis http://j.mp/1a8zTOu の動きも米国美術/欧州美術という意味では重要でしょうか
【Twin-Touch-Test @ VVV Magazine, March 1943 by Marcel Duchamp & Frederick Kiesler】http://j.mp/1a8B40s http://j.mp/1a8BaVY
http://twilog.org/n291/date-131024/allasc
◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年10月25日 - Twilog
“クールジャパンの対極のアヴァンギャルド―古くはバタイユがBDのアーナキーさに注目し、70年代に前衛集団「バズーカ」、90年代に前衛漫画集団「ウバポ」、大御所メビウス、ポードワンなどを紹介しながら、第九の芸術と言われるBDの歴史的背景と表現媒体の可能性を見る”
古永真一『BD 第九の芸術』(未知谷)http://j.mp/1dq8FEo http://j.mp/1dq9r4r
“ヨーロッパの美術の側から眺めると、1950年代の世界的な抽象主義の運動を、今日でもアンフォルメルと総括する傾向があり、ニューヨーク派の抽象表現主義を、あえて特殊なものと看做さず、世界的なアンフォルメル運動のひとつとする見方が主流である。他方でアメリカの美術の世界では、当時も現在
も自国の美術がヨーロッパ旧大陸の美術を凌駕したという自負を持ちたいという願望から、グリーンバーグの意味づけを容認したという面も見逃せない。日本においては、1960年代以降、アメリカ側からの眺めを受け入れ、アンフォルメル運動をヨーロッパのみの傍流と受け止める見方が支配的である”
【アンフォルメル - Wikipedia】http://j.mp/1dqbkhn 【タシスム - Wikipedia】http://j.mp/1dqboxI ※Clement Greenberg http://j.mp/1dqcUA2 もっと細かい年譜が必要?
【The Irascibles - Wikipedia】"or Irascible 18" http://j.mp/1dqhePG ※撮影はNina Leen。「The Irascibles」(November 24, 1950)http://j.mp/1dqhX3j
【Jackson Pollock, 1949 | LIFE magazine】http://j.mp/1dqj4jx http://j.mp/1dqkdHT 【The Irascibles, 1951】http://j.mp/1dqjEOm
Hans Hofmann「Spring」(1944-45)http://j.mp/H5TZw8 Lee Krasner「Noon」(1947)http://j.mp/1dqmkLT ※リーは1945年にポロックと結婚。http://j.mp/H5Uiat
独り立つ者?ヨーロッパの2人。ヴォルス→【Wols「Le Grand Orgasme」(1947)】http://j.mp/H5VgU4 ヴィクトル・ヴァザルリの年譜→【Victor Vasarely | Op-art】http://j.mp/1dqgh9Y
Lettrism (mid1940s-) http://j.mp/H5WlLu Independent Group (1952-) http://j.mp/H5WgHG Nouveau réalisme (1960-) http://j.mp/H5WaA3
Capitalistic Realism (1963-) http://j.mp/H5XgvH Supports/Surfaces (1966-) http://j.mp/H5XzGK *Fluxus (1961-) http://j.mp/H5YYgt
Abstract Expressionism(抽象表現主義 アメリカ発)がどのようにして日本国内で「宗教」になっていったのかは美術史的にも面白い事柄ですが、近代文化史的に分析しても、社会学的に分析しても面白い事柄かもしれません。http://j.mp/H5ZNWv
もちろん、こちらも「宗教」だとは思いますが。『French Theory in American Art』http://j.mp/H60QFS 【UCL - "French Theory and American Art"】http://j.mp/H60UW9
【COBRA (avant-garde movement)】“or CoBrA”http://j.mp/16zBHtQ http://j.mp/16zBPJS http://j.mp/1fZriQE ※貼り忘れ。コブラ(1948-1951)。
【Zero (art) - Wikipedia】http://j.mp/1fZrAqA http://j.mp/1fZrPlF ※グループ・ゼロ(1957-)http://j.mp/1fZrHT2 結局欧州ではグリーンバーグ理論などに頼る必要がなかったのでは?
表現主義的な芸術と還元主義的な芸術、両者のヨーロッパでの歴史的な経緯について知りたいところです。それはそうと、「没後一年 宇佐美圭司 展@セゾン現代美術館」の無料チケットをいただきました。http://j.mp/1fZssf2 ※『絵画論 描くことの復権』は1980年。
「絵画の復権」関連メモ。【大村益三 - web complex】http://j.mp/JoFsvH 【藤枝晃雄 - Wikipedia】http://j.mp/1fZsBiv ※『現代美術の展開』(1977年)・『ジャクソン・ポロック』(1979年)
本当に気になっているのはハンス・ウルリッヒ・オブリスト『キュレーション 「現代アート」をつくったキュレーターたち』との関連で、むしろ南米の現代美術の歩みですが。。『Contemporary Art in Latin America』http://j.mp/1fZtGH5
Ad Reinhardt「Number 6」(1946)http://j.mp/1droElP 「Number 43 (Abstract Painting, Yellow)」(1947)http://j.mp/1droNpo ※AAAは1936年設立
最終形に至る前。Ad Reinhardt「Number 107」(1950)http://j.mp/1drrBCX 「Twelve Rules for a New Academy」(1953)http://j.mp/1drsUSa ※新しいアカデミーというのは皮肉?
『Art Since 1900: Modernism, Antimodernism, Postmodernism』が普通に日本語に翻訳されていて、学部生レベルで読まれていれば、21世紀にもなって、賢しらな「宗教」や「イデオロギー」に袖を引かれてしまう人が減ることは必定でしょう。