http://the-za.somard.co.jp/j_photo/jp_space/photopre_003.shtml
http://the-za.somard.co.jp/j_photo/index.html(J-PHOTO●ジャパンフォト)
◇ empty86 - EMPTY
『Photo Pre(フォトプレ)No.6』(窓社)の特集が、「読む写真集。見る写真論。」ということで、いままで躊躇していたのを今回はじめて買ってみた。
当然、その中に「中平卓馬」の名前を見つけたからだが、写真4点+中平が写った写真1点に鈴城雅文氏による「中平卓馬の写真●発熱する臨界」という一文がある。さらに、その鈴城を巡る西山俊一氏の「『未視の物語』の発見」という文章があって、そこに鈴城の写真も含まれる。
私にとって、両氏とも初体験であるが、まだまだこういう硬派でしかも難解ではない思考をする人がいるのだ。そして、この6月には、ホンマタカシ監督作品“きわめてよいふうけい”が再び上映されるという。
http://www.empty86.jp/empty/absolute/ss4-023.html
◇ 絶版●写真=紙の鏡の神話 鈴城雅文 - Yahoo!オークション
せきた書房 1985.11.10.初版第一刷.ハードカバーB6サイズ.約200項.
全体状態評価「A’」・経年劣化「小」・カバーイタミ「小」・スリキズ「小」・小口手あか「なし」・日焼け「なし」・水濡れ「なし」・底部シミ
写真映像が現実の総体を化装されるところでは、わたくしたちの感性と写真そのものの感性の双方がともに桎梏されるほかはない。換言してみれば、写真映像が現実の総体としては在りえないことを論証してみるという作業によってのみ、写真とそこにまつわるわたくしたちの感性は桎梏を解除されつつ関係のエロチシズムを恢復しえるのではないか。
【目次】 I 錯綜と転倒 ロラン・バルトへ II 微分と積分 ロラン・バルトから III 所有と非所有 <私>性の陥穽 IV 非在と遍在 消去される「写真」 V 挑発と反撃 アナロゴンの両儀性 VI 尋問と絶句 中平卓馬試論