◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2015年09月09日 - Twilog
CASHIの「Celsius」展をみてくださった方がアラン・ロブ=グリエ http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080219p6 との関連に言及されていました。中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071030p3 でも、何度も引用されているフランスの作家です。
われわれの周囲にはアニミスティックな、あるいは家政的な一群の形容詞をものともせぬ事物が厳として存在している(ARG)http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060609 ※見ることを学べ。読むことではなく(JLG)※※望遠鏡が高精度であるほど、多くの星が存在するようになるだろう(GF)
【an untitled recording (29 April 2015, 9:32 AM (JST))】http://j.mp/1HPoiTy 【平倉圭「ダイアグラム的類似」 - UTCP】http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/members/pdf/hirakura_godard_diagramatic.pdf
中平卓馬さんが『なぜ、植物図鑑か』http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071030p3 所収の論文で引用・言及しているものとしては、ル・クレジオ http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081012p9 やエンツェンスベルガー http://d.hatena.ne.jp/n-291/20150125p6 なども。
【横浜美術館の中平卓馬・展と『中平卓馬の写真論』】(古谷利裕さんの「よりぬき偽日記」より)http://j.mp/1KDoYPM 【森の奥から: 物への視点】(アラン・ロブ=グリエについて)http://j.mp/1KDp2zb
1977年以前の中平卓馬の「文学性」に比して、文学青年から写真家になったウォーカー・エヴァンスの「文学性」について考えてみるとか。後者は、ヘミングウェイやハメット、カポーティ的な文体を写真において成立させたと語られます。エヴァンス自身はフローベールやジョイスに霊感を得ていたとか。
ウォーカー・エヴァンスの揺るぎのなさに比べると、中平卓馬さんの繊細さは。。という意味でいえば、リー・フリードランダーやゲイリー・ウィノグランドといった作家は、「文学」とはほとんど関係のない領域で写真に取り組んでいたと言えるでしょうし、そうした屈託のなさが写真的でありアメリカ的なの
かもしれず、『決闘写真論』の「インターリュード」でああいったことを記述してしまう中平卓馬さんの「文学性」と、例えば、初期作品を火葬(Cremation Project, 1970)したジョン・バルデッサリ(John Baldessari)の「文学性」のなさ、について考えたりとか。