Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

批判に答えて - 東浩紀の渦状言論 はてな避難版

友人に教えてもらって下記のインタビューを見ました。なるほど、例の「プチ思想」記事はこの延長線上だったのですね。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200909170300.html

別にここでぼくや『思想地図』が批判されているわけでもないので、反応するのもなんかブログ読者を喜ばすだけのような気がします。しかし、ここで言われていることと、最近ストレスを溜めていたあるできごとがあまりにフィットしたので、これを機会にひとつ一般的な反論を。

たとえば佐々木さんは上記インタビューで、「構造分析(おそらく社会学的な知のことを指しているのでしょう)ばかりで作品論(これはポストモダニズム的あるいは表象文化論的な知のことだと思います)がないのはつまらない」とおっしゃっている。まあそれはいいです。しかし、それならば、まずご自身が刺激的な作品論、作家論を書いて、そんな閉塞状況を身をもって切りひらけばいい。そして、もしそれができないのであれば、佐々木さんはこの10年間批評の第一線で仕事をされてきたのだから、状況を変えられない/変えられなかったことへの「責任」「無力」を感じるべきです。そういう覚悟がいっさいなく、まるで傍観者のように「誰かが作った状況」について話しているすがたは、あまりに無責任です。

そもそも、意地悪い言い方になりますが、佐々木さん自身が、問題の『ニッポンの思想』という、構造分析、いやそれ以前の「状況紹介マニュアル本」ではじめて大きな話題になってしまった。その皮肉な状況はどうお考えになっているのか。

ちなみにぼくは『思想地図』については、「今後、批評では、表象文化論的な作家論、作品論は主流になりえない。社会学的な知や工学的な知とも交雑したハイブリッドなものになるほかなく、それは同時にポストモダニズムの幻影との完全な決別を意味する」と考えて、その方針で新しい媒体を立ち上げています。したがって、それがポストモダニズム派から「退屈」と罵られるのはやむをえないと思っているし、逆にその批判は折り込み済みなのであまり気にしない。その点はぼくは二枚舌は使っていません。

http://d.hatena.ne.jp/hazuma/20090929/1254187169


>>>最近の2冊と往年の1冊
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090816#p5


※過去の「ニッポンの思想」関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%a5%cb%a5%c3%a5%dd%a5%f3%a4%ce%bb%d7%c1%db