Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

椹木野衣さんと清水穣さんの2009年回顧

◇ 2009年=ゼロ年代回顧|椹木野衣 - ART iT アートイット:日英バイリンガル現代アート情報ポータルサイト

——村上隆GEISAI」、毛利嘉孝「ストリートの思想」、赤瀬川原平山下裕二「日本美術応援団」をキーワードとして

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◇ 2009年を回顧する|清水穣 - ART iT アートイット:日英バイリンガル現代アート情報ポータルサイト

2008年9月のリーマンショックの影響下、お金が動かない不景気の時代に合わせて保守化した美術界にとって、09年は色々な意味で内向き後ろ向きの1年であった。日本のバブル景気は1986年から91年と言われている。90年前後に登場したダムタイプや日本のネオポップは、否定的な意味ではなくバブル社会の雰囲気の産物と言って良いだろう。90年代半ばから頭角を現すいわゆる昭和40年会の作家たちは、ネオポップ=ネオジオ的な国際性とは対照的に、むしろローカルで貧しい日本の足下の現実を見つめる感性を持っていたが、それはバブル崩壊とそれに続く「失われた10年」にいち早く反応していたのだと言える。2000年を跨ぐ形で通称ITバブルが興り、不景気が02年1月に底を打って、そこから07年10月頃までは、社会の構造改革リストラクチャリング)を伴いつつも緩やかな景気回復期である、と(第14循環の「だらだら陽炎景気」)。


ローカルな感性がそのまま同時代の国際性へとつながる、昭和40年会的感覚は、この時期一種の具象性と結びついて、95年の奈良美智以降、松井みどり氏の言う「マイクロポップ」世代の作家へ、さらにかつて美術手帖が特集した「ゼロゼロ世代」の作家へつながっていくが、それはこのリストラ+景気回復と並行した現象だろう。同氏の企画による07年『『夏への扉マイクロポップの時代』展(水戸芸術館)は、過去10年間の日本現代美術の優れたドキュメントでもあった。


その1年後の金融恐慌から1年たった現在、その世代の作家たちの何名かはギャラリーを失い所属先を変え、スタジオボイスエスクァイアも廃刊、アートフェアでは保守化したコレクターが90年代のブランド作家に安定投資し(それがバーゼルアートフェアの売買が最高額を記録したつまらない理由)、中途半端に値が上がった00年代作家を顕著に買い控えている。そういう環境の中、初夏に開催された『neoteny japan』(上野の森)や『ウィンターガーデン:日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開』(原美術館)が、奇妙に古めかしく見えたのも当然かも知れない。

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現代アートの「2009 >> 2010」 - ART iT アートイット:日英バイリンガル現代アート情報ポータルサイト
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