◇ YouTube - 「たけしとマナブ」 篠山紀信(後編)
http://www.youtube.com/watch?v=FtW6XoQza5U
篠山紀信さん×ビートたけしさん。
>>>篠山紀信 ピュアな感性とパワーが「表現者」として自立する時(「写真ブーム」の勘違い/『egg』とHIROMIX/スケベな評論家の虚妄性/「私写真」は新しくない/プロの写真家とは何か)より
〔略〕 最近は『日本カメラ』のようなカメラ雑誌でも「女子高生写真家が撮る」なんていう企画をやってますけど、この子たちはカメラ雑誌になんか興味はないし、写真を表現として考えているわけでもない。ただ喉が渇いたときに冷たい水を飲んだら気持ちがいい、というような感じで、そこにたまたまカメラがあったから写真を撮ってる。カメラじゃなくても、他のものでスカッとできればそれでもいいかもしれない。そのぐらいのものです。ところが写真業界の人たちは、新しい写真表現があるとか、写真ブームであるとか言って、自分たちの側に引っぱり込もうとするわけですね。そこにそもそも勘違いがあると思うんです。
ただ面白かったのは、この写真(135頁参照)を見せたときに、彼女(引用者註:「オノトモ」こと小野智子さん)が「うーん、この写真は何も描かないほうがいいと思う」と言ったんですよ。これは実際、オリジナルで見るとすごくいい写真なんです。つまり隙間とか、ここを絵で埋めようというようなところがない、完璧な写真だったわけですね。それでもせっかくだからちょっと描いてよって言って、無理に描いてもらったんだけど、 〔略〕 僕はその言葉を聞いたときに、この子の青春は終わったんじゃないかと思いましたね(笑)。写真とか表現とかを全然意識しないでやってた彼女が、ここには絵を描くのがもったいないと躊躇してしまった。写真表現を感じてしまったわけです。そういう意識が生まれると、もう『egg』のような自由なものはできなくなっちゃう。そうなると、もう「こっち側」の人間ですからね。そこで「キヤノン写真新世紀」とか飯沢耕太郎とかの出番になるわけです(笑)。
そうやって青春が終わって大人になったときに、彼女たちがどこへ行くかというと、たとえばHIROMIXという人になったんですね(笑)。彼女は写真として新しいということを言われていますけど、『egg』のようなものとは完全に隔絶しています。それはもう、この人には表現という意識があるからです。彼女はインタヴューでも「長続きしたい」ということを言ってましたね。新聞なんかに「写真ブーム」が取り上げられると、HIROMIXも『egg』も同じという感じで語られていますけど、まったく違う。確かに若い女の子たちが裸になって自分を撮って、オッパイなんか写ってたりすると、鼻の下をのばしたスケベな写真評論家がそれを写真家として祭り上げちゃったりという風潮はありますね。だけど、それは一時的な現象であって、当人が持続的に表現者としてやろうとしたときに、これほど辛いことはないわけです。若いときはそれを意識的に排除したりすることはできないし、持ち上げられると有り難がるから、スケベな評論家や編集者のいい餌になっちゃう。撮影の後に三人(引用者註:篠山さんとHIROMIXさんとホンマタカシさん)で喋ってみると、『アサヒカメラ』が言うところの「渋谷系」の写真に対して、彼らもすごく批判的でしたね。そもそも、素人の若い子たちが写真を撮るというのは昔にもあったんです。ポラロイドが出始めたときにも、現像に出さずに秘密を守れるということがあるから、恋人のヌードを撮ったりして「私写真」なんていうのが流行ったりしました。それが今またブームなんて言われてるのは、カメラが軽くなったり、使い捨てカメラの普及があって、写真を撮って楽しむ人たちのレベルでそれが爆発的に拡がったわけですね。でも、それで写真に新しい表現が出てくるかと言ったら、そんなものは何も関係もないと思います。それを「女の子写真」などと命名して一括りに持ち上げる評論家がいるから、めいめいが迷惑しているだけです(笑)。
『写真は戦争だ! 現場からの戦況報告』(フォトリーヴル04 河出書房新社)所収
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309902746
http://www.bk1.jp/product/01573757
篠山紀信さんによる飯沢耕太郎さん批判。
「鼻の下をのばしたスケベな写真評論家」参考→★ →★ →★ →★
◇ 写真は戦争だ!―現場からの戦況報告 (フォト・リーヴル): 篠山 紀信: 本 - Amazon.co.jp
内容(「BOOK」データベースより)
「写真ブーム」の正体は何か。デジタルイメージは写真をどう変えるのか。東京という都市は今どう変貌しつつあるのか。世間を騒がせたヌード写真集の舞台裏には何が起きていたのか。写真家は未だ芸術家たりうるのか。写真評論家はなぜ駄目なのか。現代におけるマスメディアの本質とは何か。写真は社会の中でどう機能しているのか。―時代と並走しつづける写真家が、マスメディアの現場から語る写真術・写真論の精髄。写真批評誌『デジャ=ヴュ・ビス』の好評連載、待望の単行本化。内容(「MARC」データベースより)
写真の現場でいま何が起きているのか。「時代」と格闘し続ける写真家がマスメディアの最前線から発信する、写真評論家には書けない実戦的写真論。数々の修羅場をくぐりながら感得した篠山写真術の全貌が初めて明かされる。http://www.amazon.co.jp/dp/430990274X
もちろん、ここでの「写真論」とは、荒木経惟さんの「写真論」と同じく
あくまでも意見・見解なのであって、「theory」ではありません。
しかし、実際の現場(戦場?)での経験に裏付けされた貴重な言葉が満載です。
◇ デジャ=ヴュ・ビス ― 写真と批評/第10号 - MILBOOKS -online book seller-
http://www.milbooks.com/shop/detail.php?code=BK070645
上記引用記事の初出。
発行は1997年(おそらく9月)。
ちなみに、HIROMIXさんの最初の写真集『girls blue』は1996年9月24日初版発行。
『アウフォト』(Out Of Photographers)の創刊号は、1997年5月発行。
>>>【コラム】Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話 活躍する女性写真家たち - マイコミジャーナル
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090507#p11
>>>西井一夫『写真的記憶』(青弓社)より
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090130#p8