Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

北澤憲昭『眼の神殿―「美術」受容史ノート』より

これを、ひとつの契機として明治一〇年代には国粋主義的な「美術」行政が行われることになるのだが、万国博覧会は、貿易のための市場調査の機会であると同時に工業化のための調査研究の重要な機会でもあったのだから、ウィーン万国博における日本の立場は、かなり微妙なものであったといわねばならない。自国の前近代的な工業製品が好評を博すその会場で、工業化という大方針を貫くための調査、学習を行わねばならない日本は、一刻も早く大人になろうと努めながら、一方で大人たちに愛敬をふりまかねばならぬ子どものような立場にあったのだ。そして、微妙というならば万国博における当時の洋画は、まさしく微妙極まりない立場にあった。それは、大人に愛敬をふりまく仲間のかたわらで、背伸びをして大人を演ずるようなものだったからである。

P202より。「自国の前近代的な工業製品」を「日本の美術」に、「当時の洋画」を「現代の日本の写真」に読み替えることも可能?

 このような事態について、ピーター・バーガーとトーマス・ルックマンは『日常生活の構成』において、制度が生活史の過程で形成された世代にとって世界は知悉された透明なものとしてあらわれるが、それを新しい世代に引き継ぐにあたって事情は一変するとして、次のような指摘を行っている。

子どもたちにとっては、両親から受け継いだこの世界は完全には透明なものではなくなっている。この世界を形成することになんら参加してきていない以上、それは彼らにとってはあたかも自然のように、少なくともその位置づけが不透明な、一つの与えられた現実としてあらわれる。(中略)それは個人の出生に先立って存在しており、彼の生活史上の記憶では追跡しえないひとつの歴史をもっている。それは彼が生まれる以前からそこにあり、彼が死んだ後もそこにありつづけるであろう。しかもこの歴史自体が既存の制度の伝統として、客観性という性格をもっている。

 バーガーとルックマンによれば、このような制度的世界の客観性は、「子どもたち」への引き継ぎの過程において強固なものとなり、制度はしきたりとなるのであるが、その一方で。制度のもともとの意味を記憶によってたどることのできない子どもたちに対しては、それを正当化するための説明と、そこからの逸脱に対する制裁措置が必要になる。制度は歴史化されることで、それに対する反抗と、そこからの逸脱の危険を内部に孕むことになるのである。

P324-325より。『日常世界の構成―アイデンティティと社会の弁証法』→http://www.amazon.co.jp/dp/4788500566


>>>北澤憲昭『眼の神殿―「美術」受容史ノート』(ブリュッケ)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4434141708.html
http://www.bk1.jp/product/03240390
http://www.amazon.co.jp/dp/4434141708

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