Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

椹木野衣さんの「美術と時評」@ART iT より

◇ 連載 椹木野衣 美術と時評:13 肉と眼の見えない結合―――都築潤の「ニューエイドス」展をめぐって - ART iT アートイット

都築は、コンピューターを使って絵を描くようになって、あることに気付いたという。モニターのなかでは、イラストレーターとフォトショップというふうに、ドローイングとペインティングはツールの次元で分裂している。ところが、紙に鉛筆で描くような現実の絵の世界に、そのような分裂はない。たった一本の鉛筆でも両者を描き分けることはできるし、自由に混合することも可能だ。都築はモニターのなかの絵にこうした現実の自在さを取り戻すべく、様々な試行錯誤を余儀なくされる。その結果、ある逆転に至るのだ。「線を引く」ことと「色を塗る」こととの分裂は、そもそもコンピューターで描くことに特有の現象ではなく、そんなことには頓着せずに描いていたかに見える現実の絵の世界こそ、元々そうした分裂を抱えているのではないか。つまり、それは絵を描くことそのものに潜む、より根源的な問題ではなかったか、と

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◇ 連載 椹木野衣 美術と時評:14 「わたし」に穿たれた深くて暗い穴(前編) - ART iT アートイット

飴屋法水「わたしのすがた」は、舞台芸術祭『フェスティバル/トーキョー10』の正式な参加作品である。したがって、役者も居らず脚本もなく劇場で上演されないからといって、これを単純に演劇でないと決めつけることはできない。事実、チラシには「構成・演出:飴屋法水」と明記されている。その意味では「わたしのすがた」は、まず、従来の演劇やそれが観られるコンテキストからの距離や位置付けにもとづいて考えられるべきだろう。

http://www.art-it.asia/u/admin_ed_contri9_j/hYU69DZFLv3ajkgOEAVy