Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

北川裕二さんのツイッターより

◇ 北川裕二 (yuji_kitagawa) - Twitter

荷風『日和下駄(第4章地図)』には「私は四谷見附を出てから迂曲した外濠の堤の、丁度その曲角になっている本村町の坂上に立って、次第に地勢の低くなり行くにつれ、目のとどくかぎり市ヶ谷から牛込を経て遠く小石川の高台を望む景色を東京中での最も美しい景色の中に数えている」とある。

(承前)本日の散策は、荷風がそう書いた場所が現在どうなっているのか確かめようと訪ねてみた。そこには意外なものが建っていて、もはや荷風のそれの面影もない。「最も美しい景色」は、防衛省に独り占めされていたのである。

(承前)けれど、『日和下駄(第4章地図)』にはすぐ後にこういうくだりが出て来る。「市ヶ谷八幡の桜早くも散って、茶の木稲荷の茶の木の生垣伸び茂る頃、濠端づたいの道すがら、行手に望む牛込小石川の高台かけて、緑滴る新樹の梢に、ゆらゆらと初夏の雲涼し気に動く空を見る時、

私は何のいわれもなく山の手のこの辺を中心にして江戸の狂歌が勃興した天明時代の風流を思起すのである」と。

(承前)この市ヶ谷八幡、茶の木稲荷だけは残っていた。しかし景色は変貌した。高台に位置する八幡だが、それ以上に高いビルが林立して視界を阻み「濠端づたいの道すがら、行手に望む牛込小石川の高台」など見渡せるはずもない。わずかに正面石段前の道の空間が外濠に向かって開けているにすぎない。

(承前)変わっていないのは、地形と気候ということになるだろうか。しかしそれさえ大分改変されたであろうし、変動していることだろう。市ヶ谷先の真田濠は戦争ガレキで埋め立てられた。今は上智のグランドと四谷駅。このツギハギの景色と荷風から狂歌の詩趣までを結ぶ途とは、どのような迷い途か。

4月14日(土)「『環境・文化耕作ゼミ』フィールドワーク体験ツアー」は、東京を代表する谷「渋谷」を散策。都市の真中を流れる忘れられた川を辿りながら、さらに大都市に茂る照葉樹の森へと向かいます。無料。申込→http://www.artstudium.org/news/2012/03/nature_of_future4714.htm @art_studium

渋谷川の一支流は、唱歌「春の小川」の舞台となったことで知られているが、歌詞にみられるような、のどかな風景の中の小川は、山の手に広がる無数の谷筋の中を流れる川の典型的な姿であった。(田原光泰著「『春の小川』はなぜ消えたか-渋谷川にみる都市河川の歴史」) @art_studium

渋谷川とその支流は、江戸時代から昭和初期にかけて、江戸・東京の外縁に沿って流れる川から、都心を流れる川へと変わってゆき、戦後は都心の真ん中を流れる川になった。歩きながらみることができる川や川の痕跡の中にも、その過程がうかがえる。(同書) @art_studium

単純に「暗渠」ということで川の消滅を理解するのではなく、その痕跡を丁寧に読み解いてゆく中に、いたるところにみられた「春の小川」が、なぜ、どのようにして姿を消していったのか、その歴史を考えるヒントがみつかるのではないだろうか。(同書) @art_studium

また今回のフィールドワーク到着点の「鎮守の森」は生態的に瞠目すべき場所。この森は1920年頃人工森として造園されましたが、当初より植生遷移や極相林という概念を始めて取り込んで計画された森です。従って、東京という環境の潜在自然植生を見るのに最適なのです。@art_studium

暗渠化され忘れ去られた河川と、人工照葉樹による鬱蒼とした森。このコントラストの間に、私たちが普段見落としているであろう都市の別の顔貌を見ていきます。@art_studium

https://twitter.com/#!/yuji_kitagawa


※過去の北川裕二さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%CB%CC%C0%EE%CD%B5%C6%F3


※過去の「渋谷川」関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%BD%C2%C3%AB%C0%EE