Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

あとで整理するメモ → 結局整理しなかったメモ

◇ 孤独悩むな 最後の文士・中原昌也君へ 島田雅彦

相変わらずお金に困っているようですね。君が毎月、生活のために書いている10枚の「小説」を楽しみにしています。いつ投げ出すかヒヤヒヤしていましたが、ちゃんと続いているじゃないですか。
書くのがつらい、書くことがない、書かなければ飢え死にする、とぼやくサマもすっかり板につきましたね。
徹底的にネガティブなその人生観も作風も嫌味(いやみ)がなくて、好感が持てます。君は自分が思っている以上に不幸ではなく、そこそこ人に愛されているのですよ。
第一、おのが不幸を嘆く身振(みぶ)りが芸になっている。
そもそも他人の不幸は蜜の味なのですが、皆、君に笑いながら同情していますよ。他人事(ひとごと)ながら、君に彼女がいないということに私は憤慨しています。
こんないい男を野放しにしておくなんて、世の女はいったい何処(どこ)に目をつけているんだ、と。
余計なお世話でしょうが、私は仕事などで独身女性に会うたびに「中原はいいよ」と薦めています。
何がいいかってまず、女性に誠実な紳士です。不器用だが、身勝手なところはなく、仕事を犠牲にしても、女性に尽くすでしょう。
金はないが、それは原稿料が入ったら、すぐに本やDVDや機材など表現活動の糧になるものに換えてしまうからです。
彼は銀行でなく、自分の脳に貯蓄するタイプなのです。
ああ見えて、実に教養豊かで、誰も読んでいない本、誰も見たことのない映画に詳しいので、話題には事欠かないし、ギャグのセンスも一流なら、最後の文士としての風格もあり、ミュージシャンとしては誰よりも野蛮で、子どもの頃は可愛かった。
という具合に褒め倒しています。いずれ私の紹介だといって、誰かが訪ねていくでしょうから、その時は緊張せずにいつものように自分の不幸を嘆いてください。
そうすれば、女性の方もこの人は私なしには生きていけないんだわと思うでしょうから。君の魅力はその野蛮に潜む脆(もろ)さでしょうか。それゆえ周囲の人間は君を放っておけないのです。だから、君は孤独を悩むことはない。
君を嫌う人がいたら、その人に問題があるのです。

http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1154091117/





◇ 2005-10-14 - ワニ狩り連絡帳

 って、芥川賞受賞第一作っちゅうのに、この「新潮」11月号の表紙には、阿部和重の名前はどこにも出てこないっす。本編はわずか4ページ、あっという間に読み終えられるけれど、そうかよ、その手で来たか。これはもう、要するに、この作品のタイトルに出てくる「島雅彦」という名前にクリソツな、某作家に対する揶揄(いや、揶揄では済まないレベルだけど)だけで成り立っている、一種の戯文、っちゅうか、この作品(?)に、「芥川賞受賞第一作」という宣伝文句を付加せざるを得ない「新潮」編集部も、そりゃぁ困っちゃったでしょ〜ね〜。その島■雅彦さんも、新潮社にとって、大事な「純文学作家」ではありましょうし。

 っちゅうか、こんな作品(再び、「?」)を阿部和重に書かせた原因とも言うべき、その、Sというライターが、Nに向けて書いた文章が、某新聞社のサイトにあるわけで、これは8月の末に書かれたものだけれども、今でも読むことができる。コレ。(この『課長 島雅彦』という作品の最大の欠点は、おそらくは、読者が前提として、以下のSというライターの書いたモノを読んでいることを期待した上で、いや、これからでも読んでみろや、と想定しているのに、その文章そのものが読めない、どこにあるかわからないことにあるんじゃないのだろうか。)


 孤独悩むな 最後の文士・中原昌也君へ


 ま、某新聞社は、この文章がいつまでも永遠に誰もが読めるように、永久保管、永久公開して置くと良いと思うけれど、阿部和重が言うように、「こいつは作家の感性じゃない」と言うしかないだろうね(いや、実はわたし、つい最近、某人物に向けて、これに近いメールを送ったりはしたことがあるけれど〜なんてヤツだ〜、このSというライターみたいに、一般公開されたサイトで書こうとは思いませんよ)。強烈な文章。

http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20051014#p1


◇ 『課長 島雅彦』読みました。 - 島田快速便

今、話題の(???)阿部和重氏の芥川賞受賞後第一作『課長 島雅彦』を読みました。

文具メーカーに務める課長・島雅彦が、A新聞の土曜版に連載されている作家SのBというコラムの8月27日の回を読んで憤慨します。
Sという作家は自分じゃ作家先生気取っているヨウだが、ソコラにゴロゴロいる寒い先輩風を吹かせたがる課長クラスの人間と同じじゃないか!‥と。

・・・たった3ページとかなり短いデス。
で、8月27日付けの「文豪書簡」を見てみると‥ア〜確かに寒い先輩風を吹かせていますネェ。

イヤラシく親切ぶってはいますが、名指しでやれ孤独だの金に困っているだの彼女がいないのとワザワザ全国紙で吹聴するコトないよネェ。
なるほどコリャ“呆れた鼻糞野郎”といわれるのも仕方ナイ。

http://shimakai.exblog.jp/2005944/


◇ 『課長 島雅彦』 猛り狂う阿部和重 - 考え中

これは戦争の狼煙か!?

阿部和重芥川賞受賞第一作は、『課長 島雅彦』なる超短編で、「新潮」の11月号に掲載された。原稿枚数10枚もないんじゃないかな。というか、そもそもこれは小説ですらない。
『課長 島雅彦』とは、無論、コミック『課長 島耕作』からのパクリで、作家『島田雅彦』のことを指している。島田雅彦と言えば、『優しいサヨクのための嬉遊曲』で学生時にデビューして寵児扱いされた自称・左翼作家。広範な教養、ユーモラスで余裕たっぷりの態度、軽妙でエスプリの効いた文体を武器に文壇の第一線で活躍してきた大御所である。阿部和重は、その島田雅彦を『課長』に喩え、作中でクソミソに攻撃する。


「呆れた鼻糞野郎だぜこのSってライター(島田雅彦のこと)は。なんつうか、いかにもだ、善かれと思ってやってまーす、でも、失敗しちゃってまーす、けど、それは自分でも自覚しちゃってるんでーす、そういうちょっぴり痛いキャラって、ありですよね? みたいな、こういう見識? センス? どっちにしろ、こいつは作家の感性じゃない」(中略)「たまげたぜ! こいつは端から作家なんてもんじゃないんだ。作家の皮を被った日本狼、作家のふりをした絶滅種」(中略)「とどのつまりはこいつもまた、一人の『課長』ってわけだ」


これはものすごい罵倒ぶりだ。もはや小説という体裁を取っておらず、作品化するのもバカらしいという感じで、島田雅彦への怒りに任せて投げっぱなしたわずか見開き2ページの短編。阿部和重にしてみれば島田雅彦など、サラリーマン課長に過ぎない、ということか。しかし狭い文壇のこと、またその大御所へ、こんなに激しく噛み付いて今後どうなる!? 

http://blogs.yahoo.co.jp/sunno3459/13462034.html


島田雅彦は文壇の中間管理職?(阿部和重「課長 島雅彦」) - さばムンド

 ところで先週、私は新聞の広告を見て「おや?」と思った。「新潮」11月号の広告で「阿部和重芥川賞受賞第1作『課長 島雅彦』」とあるではないか。タイトルが弘兼憲史の漫画「課長 島耕作」のパロディであることは言うまでもないが、「島田雅彦」と関係あるのか、阿部和重がそんなものを書くのか、と興味深く思い、さっそく書店に行った。
 「課長 島雅彦」は4ページの短編だ。うだつの上がらぬ課長(その名は島雅彦)の話なのだが、文中で、作家Sという男がA新聞のBというコラムで作家Nについておせっかいな文章を書いているぞ、という内容が登場する。
 島田の熱心なファンか朝日新聞の熱心な読者しかこの意味は分からないだろうから、この短編はチンプンカンプンだという人もいたかもしれないが、その謎を解く鍵はココにある(「孤独悩むな 最後の文士・中原昌也君へ」2005年8月18日付朝日新聞朝刊「be」島田雅彦連載コラム「文豪書簡」)。
 要するに阿部和重は「課長 島雅彦」の中で、先輩ヅラして親友の中原昌也について朝日新聞のコラムでいろんなことを書いた島田雅彦が「文壇の中間管理職」のように見えたということを記しているわけだ。

 島田雅彦はある講演の中で、愛憎の念を持って敬愛する作家・三島由紀夫について、「ミシマは文壇の交通整理役を自ら引き受け、元大蔵官僚の情報収集力と情報分析力をもってして、深沢七郎後藤明生らの才能をいち早く見出した」と評価していた。きっと島田は三島由紀夫が死んだ年齢(45歳)に近づき(44歳)、「文壇の交通整理」を自ら引き受け、自ら進んで「課長 島田雅彦」たらんと考えているに違いない。そして部下を叱咤激励しようと意気込んでいるのだ。島田の考える上司と部下の上下関係とは、阿部が暗示する通り、「想像の共同体」に他ならないのだが。

http://blog.livedoor.jp/sabatasamezo/archives/50125300.html


◇ 『課長 島雅彦』阿部和重 - Lエルトセヴン7 第2ステージ

作中において、〈A新聞の土曜版にて連載されている、作家SのBというコラムの八月二十七日付けの回〉で、〈作家のSが、同業者である後輩に当たり仕事上や私生活の面で厄介な問題を抱えているらしいNという人に向けて書いた〉一応は激励という体裁をとっている手紙を読んだ語り手が、〈このSという作家、本人はさぞご立派な作家先生のおつもりでいらっしゃるようさますが、しかし結局のところは、俺の周りにごろごろいやがる、うだつの上がらない課長どもと少しも変わらんな〉〈たとえば係長や平の連中を居酒屋で励ましてやるときの口調と、このSの文体は、明らかに瓜二つだからな〉といっているとおりだろう。なるほど。要するに、団塊の世代ないし全共闘に対して後発の世代であるがゆえに斜に構えていた島田雅彦も、もっと若い世代からみれば、団塊の世代ないし全共闘のヒーローである島耕作と同じ程度には胡散臭いよ、ということに違いない。しかしながら、ここ最近の阿部和重は作家Nとツルみすぎである。この『課長 島雅彦』は、まるで中原昌也の短編みたいな感じになってしまっているではないか。

http://aboutagirl.seesaa.net/article/7986502.html


◇ 「課長 島雅彦」阿部和重 - 南方郵便機の純文学ノート

 これはどこから見ても、作家島田雅彦への悪口である。その証拠に、当の島田雅彦が翌月の文學界新人賞選評で明確に噛みついている。
以下一部引用する。

「(中略)幸か不幸か、私は小賢しい三十代に対しては、哀川翔みたいに兄貴面する癖があるので、これを押した。どうぞ、阿部和重みたいに、メンタル・ディプレッションにあえぐ盟友のために、その作風を模倣しつつ、誰かへのあてつけで、ブログのジャンク・ニュースを書くような真似をしてください。私は金輪際、兄貴面、先輩面、課長面するのはやめ、古井由吉氏や松浦寿輝氏とともに物狂いへの道を進みますから。(後略)」

 完全に怒っている。これほど正面から怒ってくるとは、阿部氏も予想していただろうか。しかし島田氏の言葉にも一理あって、今回の小説は、どこから見ても、阿部氏の友人である中原昌也の小説スタイルの模倣である。自分では模倣することで洒落たつもりだろうが、他人は、島田氏が指摘するように、ああやっぱり阿部と中原は仲がいいんだねえ、という印象を強化するだけだ。
 私は以前から、阿部氏、中原氏、そして青山真治氏を含んだ三人の「つるみ」具合が、どうしても、なあなあの関係に見えて仕方がない。いくら仲良くても、互いに対する批評眼を失ったら、それは単なるネオ文壇とも言える仲良しクラブでしかないだろう。極論すれば、作家はやはりあらゆる意味で「ともだち」を作るべきではないだろうし、「ともだち」を必要とする時点で、もう小説など書く必要はない。
 この際、丸山健二の「生きるなんて」でも読んでみてはいかがだろうか。

http://home.att.ne.jp/surf/anzai/sincho/05011/abe-kacho.html

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>>>再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090505#p5)+1

美術手帖 2009年3月号 「清水穣の提案」 - Asanopiyo's Scrapbook

http://asanopiyo.tumblr.com/post/81694343/omolo-2009-3


◇ shikatanai

大抵の国際団体展は、招待作家がせいぜい平均値の代表作を出すことが多く、面白い作品と出会うことは実はまれなのだが、去年の横浜トリエンナーレは意外にもそれなりに見応えのある内容だった、と言えるのは、「それなり」な本会場が良く見えるほどに最低な若手の展覧会が近隣で開催されていたからだ。「THE ECHO」展は、2000年代にデビューした現代美術(株)で係長程度に出世した中間管理職作家、つまり「現代美術」という衣をまとった裸の王様たちがバラバラに衣装を披露するだけで、その既視感満載の保守性、「現代美術」の制服さえ着ていれば意味は全て他人に押しつけて構わないナルシスティックなダサさ、せっかく画廊外で発表するというのに画廊内個展から一味も違えない政治的鈍感に対しては、まさに恥という言葉しか浮かばない。美術雑誌に載り世界のアートフェアでも売れて、少しは認知されてきたと思いこんで国際展の袖舞台で貧弱な「裸」を曝した三十路過ぎの「若手」たち。デビュー数年でこんなに緩んで、リーマンショック以降の冷たいアートワールドでどう生き残るのだろうか。

Amazon.co.jp美術手帖 2009年 03月号 [雑誌]: 本

清水穣

日常と無意味の罠 ポストゼロ年代の中間報告 INTRODUCTIONより

http://shikakun.tumblr.com/post/84776011

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20091130#p3





◇ The Echo & Critics - adrian's blog
http://www.art-it.asia/u/rhqiun/pGIqSw0D89Auta1bNPfQ?lang=en


◇ ゴールドラッシュ後における - adrianのブログ
http://www.art-it.asia/u/rhqiun/hM5OPpsLUrWje0vGDwo4

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>>>再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070926#p5)(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060102#p3)+α

■大丈夫、あらゆる意味で誰も頼んでないから - 芸術の山

 昔から、訊いてもないのに言い訳を始める奴らがいた。今でもいる、君たちのことだ。「いや、もちろん分かっていますよ。でも、そこであえて自分がやらないと」。「確信犯」だと宣言することがなんだって言うんだ。そういう奴に限って、自分(たち)にとっての「リアル」だとか(そういうことを言う奴にとってはきっとなんだってリアルなんだし、単に想像力が足りないと宣言しているにすぎない)、既に生き残ってるし/どうせ生き残れないのに「サヴァイヴァル」だとか、そもそも土俵にすら上がっていないのに/ジャンケンならあと出しのくせに/弱い奴または手下としか戦わないくせに「ガチンコ」とか「セメント」だとかという言葉を脈絡もなく言ってみたりする。とりあえずそういうようなことを言っておけば既成事実を作っちゃえるし、安全地帯に立てると思っているのだろうね。でも、ここまで言い訳しないとモチベーションが保てない(あるいは自分的に納得がいかない)のなら、最初から無理にやらなければいい。大丈夫、あらゆる意味で誰も頼んでないし、困らないから、その時こそ自信をもってフェードアウトしてもらってかまわない。しかもその上「でも、もう戻ることができない。進むことしかできない」というのも錯覚で、期待外れで申し訳ないが、そこから先は「一寸先は闇」とか「暗闇の中への跳躍」とかそういう次元の話じゃなくて、単に「間違った」だけだから、戻るも進むもなくて、そこがゴールだ。ところが、しばしば君たちは自分の能力(無能力または根本的不足)の問題を社会とか歴史とか制度とか政治とか経済とかの問題にすりかえて、「たいへんなことが起きはじめている」と大さわぎをする。分かってると思うけど、念のため言っておくけど、何も起きてないよ(いや、「たいへん」なことは起きているけど、君に言われるまでもないし、少なくとも君が言う「たいへん」なこととは全く関係ないし、困っているのは君だけだ)。ようするに君たちは新たな差異(それは既に差異じゃないし、それを言い始めたらなんだって「差異」だ)を捏造し、五十歩百歩のプチブル的差別化を喧伝し、その喧伝のテンションを競い、その発見者として特権化され続けたいだけなのだ。もちろん喧伝は、歓迎はするはずはないが、やるのは自由だ。だけど、いいかげんうるさいんだよ。君たちは広告代理店か、すき間産業か。プレゼンもいいけど、もう少し落ち着いたらどうだ。モリー・リングウォルド主演『プリティ・イン・ピンク――恋人たちの街角』でも観て頭を冷やしたらどうだ。(藤田六郎)

http://mountainofart.blog18.fc2.com/blog-entry-49.html
まったく更新されてないと思っていた「芸術の山」(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060102#p3)ですが、
藤田六郎さんによるテキストが4月にアップされていたようです。


■芸術の山

眼前に聳える芸術の山は中腹からすでに雲海に隠れていた。
起伏の激しい山肌を行くその頂への途は細く険しく果てしなく長いことだろう。
いつか雲が晴れ山がその全貌を露わにすることはあるのだろうか。
登頂路を着実に歩み始めた者がいた。その背中を見上げながら道半ばで行き倒れた者がいた。雪崩にのみ込まれた者がいた。巌の険しさに戦いて下山した者がいくら探しても登山口が見つからぬ者に山はなかったと語った。山が巨大すぎて感得すらできぬ者がいた。山頂に辿り着いてそこが別の山だったと気づく者がいた。盛り土をして小さな山を作り始めた者がいた。
我々は山小屋である。芸術の山の頂への登頂路は一本であり山小屋はその途上にある。我々は下山するための脚をもたない。芸術の山から降りることはない。登山者をいつまでも待っている。
我々は芸術の山の頂を目指す全ての者を迎え入れる。登山者の道標となると同時に体力がない者には番人として下山を説く。性根の座らぬ者に対してはクレヴァスの深淵となり覚悟を試す。志の低い者には視界を遮る濃霧となる。
山小屋を訪ねる者は幸いである。

(『芸術の山』創刊の辞より)
http://mountainofart.blog18.fc2.com/blog-entry-2.html
http://mountainofart.blog18.fc2.com/

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081130#p10





The Psychedelic Furs - Pretty In Pink (original version) - YouTube
http://youtu.be/c08vQ-vUhWI


If You Leave - Orchestral Manoeuvres in the Dark (OMD) - YouTube
http://youtu.be/cL5v51jjrS4

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◇ 2006-10-06 - 蒼猴軒講義情報:IN THE STUDIO(佐藤守弘)

「M1のアンディ・ウォーホルと言います。版画分野で、シルク・スクリーンを中心に制作をしています。もともとは広告制作の勉強をしていて、イラストレーションを描いていましたが、ファイン・アートの方に方向転換しました。マルセル・デュシャンのレディ=メイドという考え方に影響を受けて、世の中に溢れる、誰もが毎日眼にするようなキャンベル・スープやブリロの箱などを描いていました。それによってイメージ中心の消費社会と批判的に戯れるとともに、複製技術時代における芸術の可能性について、考えてみたつもりです。最近は、シルク・スクリーンという技法に興味を持っています。シルク・スクリーンという技法の特徴は、写真など既存のイメージを転写=複製することが可能な点だと思います。今は、その技法で、新聞などで毎日眼にするエルヴィス・プレスリーエリザベス・テイラーなどの写真を転写し、それに色を付けて、さらにそれを反覆させるような作品に挑戦しています。最近は、マリリン・モンローが気になっていて、今度マリリンの写真で作品を作ってみようなかなと考えています」。

http://d.hatena.ne.jp/satow_morihiro/20061006
再度。

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大飯原発再稼働を世界はどう伝えたか - 日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120710/234306/


◇ 「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する御意見の募集(パブリックコメント)について
www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120702/20120702.pdf


◇ フードデザート問題研究グループ - トップページ
http://www18.atwiki.jp/food_deserts/


◇ 都市生活者にも無縁ではないフードデザート問題 [食と健康] All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/313718/


◇ フードデザートから地域の再生に向けて:オピニオン:Chuo Online - YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20101018.htm

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トランセンド公式アカウントの正直な回答 - Togetter
http://togetter.com/li/336422
こういったヴァルネラビリティが僕にとっても必要やもしれず。。。

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“端正な凶暴さで/ミッキーマウスの返り血浴びて/小名木川で沐浴”
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20051215