Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070926#p4)

ATAK | diary/2007/08 より

本というものについて、データのようにフッ飛んだりしないし寝っ転がって読めるし持ち運べるからメディア特性として強いみたいなのは、本じゃなくて紙の特性だと思うんですね。紙と書くもの/書かれるもの、ということについて考えれば、それは変わらないなんていうはずはないわけで、例えばHDに残すということが可能になった時点でメモとタイプすることを選択している、つまり紙に書くという行為の意味は変わっているわけですよね、当然ながら。これはメモしよう、とか携帯のメールに入れておこうとかあるわけでしょう。
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では本という形態についてはどうかというと僕は変わらないものはないと思っている人間なんで、読むということが一定量の紙の束を持ってフンフンするということを指すのではない、ということになる可能性は高いと思うんですね。
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だから本が全くなくならないかどうかというのは、知りようもない未来の話なのであまりしても意味がないと思うんだけど、書く、読むという行為が紙という媒介を仲介しないときに何が起こるのかということは話す意味がある。で、少し戻ると変わらないであろう、故にそのメディアを愛すという人が面白いものを作る可能性は極めて低い、というのが私見です。
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音楽を愛してるとか言ってるバカが下らない反動ロックとかうんこフォークみたいなのを作ってることが典型なんだけど、本とか文学というものは永続的に残るだろうしそれ故に愛しているという人が面白いものを書く可能性は低いし、創る人間が変わらないとか残るということを愛せるという気持ちはあまり分からない。
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話を音楽に置き換えるとよく取材とかで渋谷さんが考える未来の音楽は?みたいな問いがあるけど少なくとも僕が生きている間に(僕は自分が生きている間のことにしかあまり興味がない。ということが最近はっきりしてきた)音楽は変わらないだろうし、それはつまり人はどうやってもメロディーとその他という聴き方をするだろうし、そう解釈できないものは認識しない/しようとしないというのが多勢という状況は変わらないだろうということなんだけど、つまりそれが音楽というメディアの特性で僕は憎んでいる。故に作る。という感じなんですね。

http://atak.jp//diary/2007/08/200708


・「変わらないであろう」→「永続的に残る」→「故にそのメディアを愛すという人が面白いものを作る可能性は極めて低い」
・「そう解釈できないものは認識しない/しようとしないというのが多勢という状況は変わらないだろう」→しかし→「故に作る」
 (メディアの特性[テクノロジーの側]を、メディアが産み出すものの認識と解釈[人間の側]を、拡張するために)
という渋谷慶一郎さんの考えに、とても共感します。
また、「そのメディアを愛すという人が面白いものを作る可能性は極めて低い」という考え方は、
当然のことながら、古いメディアだけではなく、いま現在において、
新しい(と思われている)メディアにも、同時にあてはまることだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070729#p12