Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

▼文化人類学解放講座・もうひとつの可能な世界の具体例をみる - イルコモンズのふた。

今回は、民族誌映画の傑作中篇「クラ〜西太平洋の遠洋航海者」(1971年)を見て、「ギフトエコノミー(=贈与経済)」と、「もうひとつの可能な世界」について考えます。

[映画解説]
いま・ここにあるグローバリズムの世界と、そこでの生き方に疑問や問題を感じ、グローバル・ジャスティス・ムーブメントを進めている人たちの合言葉のひとつに、「もうひとつの世界は可能だ(another world is possible)」という言葉があります。これは2001年にブラジルのポルトアレグロで開かれた「世界社会フォーラム(World Social Forum)」で提唱されたもので、もともとはブラジルのポピュラーソングから引用されたフレーズだといわれています。このフレーズは、「金がすべて」「儲けるためなら何でもする」血も涙もない非情なグローバリズムの世界に失望した人びとに夢と希望と、そして想像力を与えてくれるロマンティックなフレーズですが、現時点ではまだ、その「もうひとつの世界」の具体的なヴィジョンがはっきりと見えていないのが実情です。「考えられたプラン」はたくさんありますが、その「考えられたプラン」が本当に実現可能であるという「実感」や「リアリティ」を与えてくれる「生きられたサンプル」が不足しているのです。そうした「考えられたプラン」のひとつに、「ギフトエコノミー(=贈与経済)」というのがあります。これはグローバリズムのベースにある「商品市場経済」や「市場原理主義」にとって、それに代わる「もうひとつの可能なエコノミー」です。これは利益の追求を目的としない贈与(ギフト)を通じたもののやりとり/やりくりで、グローバリズムの世界でみられるような、ひとにぎりの人間だけに利益が集中し、ものが独占されてしまうアンフェアなシステムではなく、完全に公平な分配ではないにしろ、多くの人間がものを共有し分有することのできるフェアなシステムです。こうしたシステムは、全域的ではないにしろ、パーシャル(部分的)なシステムとして、いま・ここにある世界の中でも実現されつつあります。特にコンピュータやインターネットの世界でその動きがみられます。具体例をあげれば、wikipediaリナックスのオープン・リソースソフト、青空文庫や無数のフリーウェアソフト、クリエィティヴ・コモンズなどがそうで、他にも著作権が消滅してパブリックドメインにはいった映画作品や文学作品をインターネットを通じて共有するしくみがつくられつつあります。これからさらに著作権者が権利を気前よく手放し、企業が囲いこみをやめれば、このギフトのサークルは拡大してゆくのですが、なかなかそうならないのには、いくつか理由があります。まず、そのひとつは、権利をみずから喜んで手放し、囲いこみを進んでこわすインセンティヴ(動機づけ)が十分にないからです。では、そのインセンティヴをつくるにはどうしたらよいか。そのヒントは、クラにあります。クラはニューギニアのトロブリアンド諸島で、幾世代にもわたって持続的に行われてきた、非常に洗練され成熟したギフトエコノミーのイベントで、これをみれば、ネット上のギフトエコノミーに欠けているのが何か分かると思います。

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