Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

[資料 2013-08-24]

◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年04月13日 - Twilog

飯沢“デジグラフィ”耕太郎氏 http://j.mp/Znl5BM の立ち回りや、写真版しゃべり場 http://j.mp/ZnkVKp や、写真分離派いったい何と分離したいんだろう?とか、写真2.0とか昨今の村をとりまくあれこれを思い出したりした記事からの抜粋を

以下、「世界写真全集 月報9」(集英社 1984年)所収「小久保彰氏にインタビュー」より “1967年からニューヨークにいて、写真はずーっと見てきたわけですが、本当に写真がおもしろくなったたなと思うのは70年代の終わりから80年代に入ってから”“注目している作家はというと、

サンディ・スコグランド、ウィリアム・ウェグマン、バーバラ・カステン、シンディ・シャーマンといった作家たち、いわゆるコンストラクションとかコンストラクテッドとか呼ばれる(略)写真”“写真史の中でも写真が非常におもしろい時期だと思いますね”“もう写真っていわない方がいいって感じがする

くらい”“既成の作家は反対するっていうか、拒絶反応を起こしてしまう。それは自分の従来の写真という概念とは全然違うもんだから、こんなもの写真に撮ったら困るというようなのが非常に多いわけですね”“写真の発表の場ですが、アメリカの場合は完全にギャラリー・システムで、

ギャラリーとかミュージアムで発表していくのが主軸となっていますが、日本だと写真雑誌が中心ですね。日本でも写真の美術館ができるということですが、さらに写真ギャラリーができて、コンテンポラリーとかニューウェイブが…と、おそらくこれから3年ぐらいの間に、そういう動きが出てくるんじゃない

か”“まあ、5年かかるかな”“最近は写真とアートを区別できないようなことになってきましたね”“昔は、写真というと非常に複雑な操作をしないとできなかったし、プロフェッショナルな技術というのが必要だったわけだけど、いまは非常におもしろい発想だとか考え方を持っていて写真を撮ると、すごく

おもしろい写真ができることってありますよね”“先ほども、日本に行くとガッカリするとかいう話が出ましたが(略)日本でも写真展とかすごくあるけれど、どこへ行っても作家の名前は違うけれど、それほど違った個性的な作品というのは並んでないんですね。これは日本の写真だけじゃなく、現代美術でも

何でもそうだけど、外国から新しいものが入ってくると、それが刺激になって活気が出てくる”“やっぱり日本は島国で、集団で生活して(略)お互いに作品を見るということは、自分と一人一人との違いということじゃなくて、一種の共同体の中で、お互い連帯感というか、そういうものに対して、確認みたい

なものがあるわけです。非常に集団志向なんじゃないかなと思うんです”“アメリカの写真を見ていると、非常にみんな個性的で、少しでも似たところがあると認められないというところがあります”“この写真はだれだれと全く同じだとか、ほかのものをまねしているとか、そういう文句もすぐ出ますね”

“だからみんなが努力しているのは、いかにして個性的な自分をということですね”“自分のやっている仕事というのは、わかってもらえないんじゃないかということから出発して、コミュニケーションというものは、自分と他人とは全然成立しなくて、これから始めなきゃならないという物の考え方ね”

以上、小久保彰さんの言葉からの抜粋ですが、短いコメントで3か所だけインタビュアーのエレン・ビアーンさんの言葉を抜粋しています。これが、1980年代初等の認識のようです。ウェストン・ネフが語る、1978年を境にした「TAKE」の時代から「MAKE」の時代への移行。

もちろん僕は是々非々という立場。ただ、その時代を経験してきたであろう方々が30年以上経った2010年代の今現在の状況を「同じようなことを繰り返しているだけだ」と指摘すらせず、むしろ乗っかっていっているのは(新しい価値基準・評価軸の提案すらなく)本当に寒いことだなと思ったりします。

http://twilog.org/n291/date-130413


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年05月24日 - Twilog

『日本写真全集12 ニュ−ウェ−ブ』(編:桑原甲子雄・重森弘淹 小学館 1988/03/10)http://t.co/Qo7IdJC1 ※表紙は小林のりおさんのようです。 ※※訂正:表紙は畠山直哉さんの「研究学園都市」(1984年)でした。

【美術と〈フェティシズム〉18─レンズにとって美とは何か 浅井俊裕】http://t.co/zeLb2tSq ※“このテキストは、『WALK』49号掲載文に、加筆・訂正したものです”とのこと。

“重森は先のテキストで次のように分類している、「純粋な写真視覚への模索(渡辺兼人山崎博他)、古典的スタイルの引用(中川政昭、大阪寛他)、文化的装置としての都市の解読(田原桂一杉本博司伊奈英次他)、日常への偏執と非日常的なものへの眼差し(島尾伸三大西みつぐ、吉村晃他)、

(……)現代美術の表現的文脈と交差する試行(白岩登三靖、山本糾他) など」だ。そして「そのどれもが写真神話崩壊後の、改めて写真自体のアイデンティティを求めようとする意識の発露である」という。さらに、重森は同じ『日本写真全集12』の別の箇所で島尾の作品に言及し(……)

(……)「島尾伸三の『毎日の記録』は家庭の日常のなかに限りなく密着し、日常性という虚構を浮上させている」(「総論ニューウェーブ/八〇年代の作家たち」p.56)”http://t.co/zeLb2tSq

http://twilog.org/n291/date-120524


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年10月10日 - Twilog

プリズム(1976-77年)の初期メンバーは、谷口雅、桑原敏郎、住友博、平木収、小部俊裕、阿部棟也、守屋裕司、吉村礼仁、牧田アダン、重松一穂、野村三郎、棟近好一の12人。

“「プリズム」は桑原甲子雄の企画展に始まり、ロバート・フランク、田村シゲル(彰英)、山崎博を経て、〈コンポラ写真〉ということばを普及させた大辻清司の個展で終わる。”『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976‐83』金子隆一島尾伸三・永井宏 編より

OWL(1979-81年)の初期メンバーは伊藤義彦、大谷正広、島尾伸三ほか。主要メンバーは、伊藤義彦、岩岸修一、笹谷高弘、田口芳正、長原正雄、服部則仁、平島彰、矢野彰人、渡辺博。ワークショップには、平木収、金子隆一、横江文憲、矢田卓、小笠原隆夫、飯沢耕太郎らがゲスト参加。

OWLで展示を行った作家に、津田基、長船恒利、田村彰英山崎博、土田ヒロミ、谷口雅、住友博、大西みつぐ小林のりお伊奈英次潮田登久子、北島敬三、永井宏、鈴木秀ヲ、飯田鉄など。長船恒利&谷口雅、潮田登久子島尾伸三の2人展を開催。1981年には小林のりお伊奈英次が個展を開催。

“「自主運営ギャラリー」ということばは1980年ぐらいにもなると、あまり使われなくなり、1979年、青山に誕生した「OWL」は、すでに誰もその様な呼び方をしなくなっていた。「OWL」を運営していた若者たちも、このことばを口にすることは少なかった。そうこうするうちに、やがてこの

…)ことばは忘れられていった。/1980年代に入り写真のプリントを売る画廊が生まれだすと、作家性を強調する作品がつくられ、運動としての社会的な意義、写真表現の持つ社会性などが放棄されていった。”『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976‐83』より

メモ。「LUNA HOUSE」→「FROG」→「MOLE」→「はこだてフォトアーカイブス」。大阪の「写真塾」→「リトルギャラリー」(阿部淳など)。永井宏、谷口雅、島尾伸三による「アッサンブラージュ・フォトグラフィ」に伊藤俊治も参加し、写真作品を発表(1985年以降)。

永井宏と島尾伸三は「アッサンブラージュ・フォトグラフィ」第4回展(1982年 At Gallery/原宿)で写真作品によるビデオ・インスタレーションを発表。会場にはビデオ・モニターのみが設置され、プリントが展示されない写真展だった。会期中、ジャズ(インプロ)のイベントなども開催。

メモ。東京のZEIT-FOTO SALON(ツァイト・フォト・サロン)は1978年開廊。大阪のPicture Photo Space(ピクチャー・フォト・スペース)は1984年開廊。

『カメラワークス』1号(1978年)には「コンテンポラリー・フォトグラファーズ 社会的風景に向かって」展(66年 ジョージ・イーストマン・ハウス)の序文を掲載(訳は平木収)。9号(82年)には畠山直哉「等高線」を、10号(83年)には小林のりお「ラストホーム」を写真集形式で掲載。

http://twilog.org/n291/date-121010


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年11月25日 - Twilog

@ka2saiki カメラ、写真の方法的あるいはシステマティックな使用ですね。そのあたりの作家の仕事は、パイロ・フォトグラフス・アニュアルでも見ることもできますが、どこか何かが足りないという感じもしてしまいます。60年代後半のコンセプチュアリズムが遅れてやって来た感じといいますか

@ka2saiki ただ、いわゆる日本独自の写真文脈で展開された「コンセプト・フォト」というものの再評価は、齋木さんのおっしゃるように、いずれなされるべきだと思います。伊藤義彦さんの作品は美術館にも収蔵されていたりして、東近美でも拝見したことがあります。

http://twilog.org/n291/date-121125


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年12月01日 - Twilog

中原祐介「コンセプト・フォト断章」は、『美術手帖臨時増刊号 美術年鑑1972』所収。

山中信夫がピンホール作品を公式に発表したのは、1972年の「現代の造形〈映像表現’72〉―もの・場・時間・空間―Equivalent Cinema」が最初。【「現代の造形〈映像表現〉」展 | 現代美術用語辞典ver.2.0 β版】http://t.co/Ow7NAFTw

http://twilog.org/n291/date-121201