Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

[資料 2014-02-04]「只石博紀・西澤諭志 新作映像作品 上映会」に関連して

◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年09月24日 - Twilog

西澤諭志さんの作品も刺激的でしたが(今日の2回上映で都合3回見たことになりますが、まだまだ見切れない感じ)、只石博紀さんの作品がキレてました。音楽に例えるならば、鬼才ジョン・ゾーンのゲーム・ピース「コブラCOBRA)」を映像作品で試みてみたという感じ(もちろん異なるのですが)。

「12時がきた」「12時になった」は異なる。これは昨日から考えている問題ともつながる事柄。

個人的には“映画的”という言葉はかなり危険なバズワードだと思っています。人それぞれいろんな“映画的な”があるでしょうし。また、共通する“映画的な”で頷き合っているタコツボもたくさんありそうですね。どのジャンルでも同じですが。。<@sasakiyusuke どれだけ挑発的な仕草を、

http://twilog.org/n291/date-130924/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年09月25日 - Twilog

noirseさんのお話が単なるデジタル紙芝居(ある時代以降の多くのゲームがそうだと思っています)との比較でもなさそうなのが興味深いところです。それで思ったのは、例えば、只石博紀さんの新作を観て想起する作品としてソクーロフエルミタージュ幻想』や大作映画では『トゥモロー・ワールド

などが挙げられると思いますが、その比較として『スターブレード』(ナムコ 1991年)を逆に“映画”として鑑賞するという思考実験を行ってみてはどうだろうということです。照準と鑑賞者の眼の動きでも何か考えられそうです。しかし、プレイヤー(鑑賞者)が、身動きできる、身動きできない問題は

どこまでもつきまとうので、映画のインタラクティブ性のなさが逆に際立ったりするのかもしれません。※参考:天重誠二さんのコメント→https://twitter.com/tenjuu99/statu/382506854506430464 https://twitter.com/tenjuu99/statu/382507081988706304 https://twitter.com/tenjuu99/statu/382507180877807616

スターブレード』と長回しの映像の話ですが、もちろんプレイヤーのレベルによって見えるもの/見えないものが変わってくるのですが。並の人(PS2版)→http://youtu.be/sAtP0DZilh8 Zn-T(アーケード版)→http://youtu.be/d4i7WB5m9H0

只石博紀さんの『Edogawa River, Ichikawa-shi, Chiba-ken, September 1, 2013』はどちらかというと動体視力や反射神経や全体視が必要な作品で、西澤諭志さんの映画『百光』は“眼のバッファ容量”が試される作品だと感じました。

映像的負圧 http://j.mp/15so6co やアテンション・デザインのことなどを考えながら、何となくこんな時間に。。。それはともかく、自分のことももっともっと頑張らねば。。

そういえば、只石博紀さんの『Edogawa River(略)』について、良知暁さんが「やっていること(方法と形式)がわかった時点であとはそれほど観なくてもいいのかも思ってしまった」(大意)と話していたことは重要な事柄なのかなと。それをコンセプチュアルな映像作品として捉えた場合。

http://twilog.org/n291/date-130925/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年09月26日 - Twilog

ジョン・ケージの「4'33"」初演で4分33秒の前後に鑑賞者の身体や神経系、脳内に生起していたことを考えることは、ものづくりをする人にとって相変わらず重要。その後の再演によってどうなっていったのかを考えることも重要ですが。あとフルクサス的予定調和の問題も。参加型アートも同様ですが

アートはそもそも省略の技法だと思いますし(だから加減乗除の減除が重要)、あの日話したようにコンセプチュアルな美術家であればエッセンスのみを抽出してそのアイデアについては止めを刺してバリエーション展開(同じこと)はしません(他の可能性があれば別)。<@blepharismatter

もちろん良知さんクラスの人がそれをわかっていないわけはないでしょう。すべて理解したうえでの話です。自然とか現実がリッチなのは当たり前。それをどう分節するのかということと、“写真の眼”を手に入れているかどうか問題になってきますね。またしても。<@blepharismatter

.@blepharismatter “写真の眼”問題は根深いです。眼の速さと正確さとバッファ、それを多くの人に求めるのは無理があります。スチルカメラの動画機能によって、写真の作家も映像作品を制作することが増えてきていると思いますが、写真や美術の素養がある人にとっても

.@blepharismatter それがつまらない、ただの撮りっぱなしだと思われてしまう問題もそこにあると思っています。全然異なることをやっているのに、60年代的なもの、ビデオアート初期に逆戻りか?などとジャッジされてしまったりします。逆にそのことによって、ああこの人はそれほど

.@blepharismatter 眼がよくないのだな、とわかってしまったりもしますが。だから、鑑賞者のマインドセットを変える工夫をしたりとか(これはかなり重要)、もっと噛み砕いて、場合によっては離乳食から始められるように、映像を、写真を提供していく必要もあるかもしれませんね。

ある時期以降のライアン・ガンダーにほとんど興味を抱けないのは、端的に言うと「海賊行為か大喜利か」ということです。ティノ・セーガルについての懐疑を、かなり端折って、煎じ詰めて言えば、「小林秀雄モーツァルト問題」ということになります。http://j.mp/16qUf4Z

(視覚に寄り添うタイプの)写真・映像の話に戻ると(括弧の意味論?)、杉本拓さんの「大友良英論「音響的即興を巡る言説」」http://j.mp/16qWvsZ や『Live in Australia』の件 http://j.mp/1aoT9nB はどこまでも重要だなと。

括弧の話で言えば、西澤諭志さんの映画『百光』の魅力にも弱点にもなっていると僕には思えてしまう部分のことについても考えてしまいます。映画というフレーム、上映という形式の強固さ。この硬さが“劇映画の意味論”を起動せずにはおかないので、鑑賞者(あるいは作品をジャッジする者)が、この監督

は括弧の内側の要素を劇映画としてどのように上手く扱えているか?というふうな態度で作品を観てしまいがちになるため、例えばコンペティションなどでとても不利なのではないかと感じたりしました。しかし、映画デビュー作としてふさわしい西澤さんらしいエッセンスがギュッと詰まった作品だと思います

映っている事物、放たれる言葉。映画という括弧の中では、それらすべてがふだんの現実以上に特別な意味を担ってしまいます(鑑賞者に特別な意味を期待されてしまいます)。

って、当たり前すぎました(^^; ……だからどうするのかの部分が大切なんでしょうけども。そこで「異なる質」「他の基準」を追い求めるのであれば。

@blepharismatter あと、杉本拓さんの http://j.mp/19H8gqrhttp://j.mp/16qWvsZ を読んでみてください。参考になると思います。

写真は時間芸術?空間芸術?ということで、平面の“(半)一挙性”について再度:“平面は「みること」に能動性を要するがゆえに、だからこそ、必ずしも「一挙的」ではない場合があります。つまり、平面にも時間の中での展開がありえるということ”http://j.mp/19H9a66

http://twilog.org/n291/date-130926/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年09月27日 - Twilog

写真の人はほぼ何も考えていない人が多いので僕とは異なる認識だと思います(美術の人なら考えているとは思いますが)。その話は何がアートなのかということとも関係する話です。<@noirse 福居伸宏さんの、「自然とか現実がリッチなのは当たり前」ていう言い回しがすごくいいなあと。写真の人

何がアートなのかという話は置くとして、例えば映画の場合、いかにアーティフィシャルな“スゴイもの”を作ったところで、それが実際の現実世界との紐帯をどこかで保っていないと(インデクシカルな関係を保っていないと)別に面白くはないと感じる人も一定数いることは確かでしょう。<@noirse

思い出したフレーズ。【それらは飽くまで人畜無害なエンジョイアビリティを超えません(宮台真司)】http://j.mp/1bgtWQW

http://twilog.org/n291/date-130927/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年11月10日 - Twilog

墨田区のfloatで西澤諭志さんの映画『百光』を観る。都合4度目。今回は音響設備が良かったので、これまでの上映では聴き漏らしていた音に気づいたりとか。感想については2013年09月26日 http://j.mp/18gkLJw の[03:41:47]以降のツイートを。

※映像的負圧、アテンション・デザインほか http://j.mp/15so6co

12月の「只石博紀・西澤諭志 新作映像作品 上映会」http://j.mp/1blWNSO の打ち合わせと会場点検のために三ノ輪へ。

http://twilog.org/n291/date-131110/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年11月11日 - Twilog

話題にのぼった密室映画はこちらです。「Go Go Second Time Virgin」http://youtu.be/9cAH_J8JQw4 【「どこか」を探して 若松孝二監督を悼む - 宮台真司社会学者) - BOOK asahi com】http://j.mp/1ewSeGR

【Claude Lelouch "C'était un Rendez vous"】http://j.mp/1cM634h 【SPECIAL STAGE: 巨匠クロード・ルルーシュの異作 ' Rendezvous(ランデブー)'】http://j.mp/1cM6cVs

西澤諭志さんの映画『百光』は、彼の過去作品「ドキュメンタリーのハードコア」(2011年)http://j.mp/FQdQrZ はもちろんのこと、「星座や地図」(2008年)http://j.mp/XLYHpP も予め見ておくと、より作品に入っていきやすいと思います

映画『百光』参考。インタビュアーは良知暁さん。【Interview: 西澤諭志 – ドキュメンタリーのハードコア - Researching Photography】http://j.mp/zNA79Z

映画『百光』参考。「台所」のパートにみられる「万物理論」の作家たち http://j.mp/WsCOFj との同時代性(映像は見られませんが、ステートメントは読めます)。そういった映像を映画の中に置くということ。ただし西澤さんは彼の好むタイプの映画作品の側からのアプローチ

小林耕平さん http://j.mp/1cMb4Ki http://j.mp/1cMcLYa http://youtu.be/mT60sWfvjhM?t=m35s 田中功起さん http://youtu.be/ym0LaSAn5n8 http://youtu.be/eVxPf0eTtc0

田中功起さんの「Each and Every」(2003年)http://j.mp/19b7qBN と「A Project, Seven Boxes and Movements at the Museum」(2012年)http://j.mp/19b7uRY

http://twilog.org/n291/date-131111/allasc