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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

フランス式の窓/なりたての未亡人 《フレンチ・ウィンドウ展 レビュー》by 桑原俊介 - 展覧会へ行こう!

本展覧会の名称『フレンチ・ウィンドウ』は、デュシャンの《フレッシュ・ウィドウ》という作品に由来する。デュシャンは、「フレンチ・ウィンドウ」と呼ばれるフランス式の窓を、黒い皮で目隠しし、それを「フレッシュ・ウィドウ(=なりたての未亡人)」と名付けた(黒=喪)。単なる言葉遊びによって結びついたフレンチ・ウィンドウとフレッシュ・ウィドウ。単なる音の類似性が、フランス窓と未亡人にまつわる意外な歴史性を顕在化させる。時は第一次世界大戦直後のパリ。市街には実際に、喪に服する数多くの未亡人たちの姿が見られたことだろう。そして戦時中、空爆に備えて貼られていた窓の黒い目隠しは、戦後には喪を示すための目隠しとして利用されたことだろう。いわば、パリ中の窓という窓が、さらにいえば当時のフランスという国そのものが、すっぽりと喪に包まれたなりたての未亡人と化していたのだ。また両者は、他者の視線、他者の欲望を遮ることによって、よりいっそうその視線を、その欲望を引き付けてしまうという逆説的な官能性をたたえた存在でもある。窓も未亡人も、こちら側とあちら側(此岸と彼岸)との境界を生きる存在であり、両者は、秘められた「あちら側」への欲望を、遮ることで煽り立てる、閉ざされた通路なのだ。―――――――フレンチ・ウィンドウとフレッシュ・ウィドウという単なる言葉遊びが引き起こした数々の観念の連鎖。普段は決して出会うことのなかった二つのモノが、言葉の類似性を介して不意に出会い、そこに幾つもの新しい意味が産み落とされてゆく。モノが普段とは別の関係性や文脈の中に置かれることで、それまでには見えてこなかった様々な潜在的な可能性が開発されてゆくのだ。六本木ヒルズに唐突に現れたフレンチ・ウィンドウは、現代フランスを覗き込む「窓」として、あるいは、フランス的な思考の「枠組み」として、現代フランス(の芸術界)のどのような秘められた可能性を顕在化させるのか。

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