Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

研究ノート (3) - 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉

ポイエーシスとプラクシスのあいだ
――エリー・デューリングのプロトタイプ論
武田 宙也

終わりのないプロセスとしての「開かれた作品」とは逆に、「プロトタイプとしての作品」は、プロセスの「中断」(coupe)とみなされる。そこで問題となるのは、プロセスを休止することであり、オブジェという形でプロジェクトに(その都度)何らかの一貫性を与えることである。ただしそれは、あくまで「作品の可能性の物質的なデモンストレーションに必要な最小の安定性」 ※9 である。創造プロセスを安定させるというのは、さまざまな媒介をそれぞれに対応する支持体に合致させることに他ならない。注目されるのは、デューリングがこの支持体に、テクスト、イメージ、オブジェ、あるいはさまざまな装置といった、通常の意味での「もの」だけでなく、「美術史に書き込まれた芸術の身ぶりや理論への参照」や、さらにはこの創造の場の成員たち(アーティスト、スポンサー、キュレーター、ギャラリスト、批評家、ジャーナリストなど)同士の「関係」までも含めている点である。そして、このように安定化されたプロセスの各段階はどれも、それ自体が「権利上」展示されうるものだとされる。デューリングは、このプロセスの安定化を「翻訳」と呼び、問題は、「作品を同時に複数の平面上で翻訳することによって、プロセスの総体を集約するイメージ(中断)の上で止まること」 ※10 であると述べる ※11 。こうして、プロトタイプの論理において、作品の産出プロセスは、連結と変形の、転移と翻訳の連鎖として現れることになるだろう。ここから彼は、プロトタイプを、作品の生成のあらゆる段階で現前する、いわば「生成の構成要素」(unité de devenir) ※12 とみなす。ただし、そこで注意を促されるように、プロトタイプの特徴は、それがあくまで生成の「構成要素」という点にあるのであって、それは生成そのもの(プロセス)とは峻別されなければならない。彼の表現を用いるならば、そこで行われるのは、「あるフローから、運動状態にあるさまざまな痕跡を採取すること」 ※13 なのだ。この「運動状態にある痕跡」は、芸術を、たんなるオブジェとも、また、オブジェとしての提示を断固として拒むプロジェクトとも異なるものとして、したがってまたそれを、ポイエーシスとプラクシスのあいだで捉えなおすひとつの可能性を秘めているように思われる。
武田宙也(日本学術振興会特別研究員/大阪大学

http://repre.org/repre/vol18/note/03/