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写真史/写真論の展開 前川修(藝術学関連学会連合第1回公開シンポジウム「藝術の変貌/藝術学の展開」2006年6月17日、於日本大学)

 デヴィッド・キャンパニー『芸術と写真』から話を始めてみます。この本は1960年から90年までの「芸術における写真」を俯瞰した図版集成です。そこには、二つの興味深い論点を見いだすことができます。第一に、60年代から現在までの芸術実践に、写真的な方法や原理がすっかり入り込んでいるという指摘があります。第二に、「芸術と写真」の意味が、従来のそれ(「芸術写真」)とは逆のものになっているという論点があります。後者を「写真のなかの芸術」と呼ぶなら、前者はむしろ、「芸術のなかの写真」です。

 この二種類の写真の1960年代以後の展開を、芸術の変貌に即して概観してみます。まず「芸術における写真」について。1960年代、芸術において手がかりとされたのは、マスメディアやポピュラー・カルチャーにおける写真の役割でした。日常に浸透し、匿名的、事実的、反復的、事後的な写真のあり方が、芸術と社会との中継地点として批判的に検討され、使用されます。

「写真における芸術」に目を向ける前に、芸術外の写真についても言及しておきます。注目すべきことは、60年代から70年代にかけてのフォトジャーナリズムの展開です。フォトエッセイという、事件を像とテクストによってヒューマニスティックに語る手法の有名な事例が見られるのもこの時期のことです。しかし、すでに70年代初頭、フォトジャーナリズムは危機を迎えていました。TVの報道にともない、写真は唯一の媒介者としての地位から二次的な地位に推移する。この事態は、「芸術における写真」の写真へのアプローチにも変更を迫ります。

それでは、「芸術における写真」の逆である「写真における芸術」は、どのような展開を被っていたのか。その典型が、美術館での写真展やカタログ制作などの活動です。MoMA写真部門のジョン・シャーカフスキーは、60年代から90年代まで多くの展覧会を企画しています。その基礎には、フォーマリスティックな写真の美学があり、同時代の写真家も、19世紀の職業写真家もすべて、モダニズムの枠組みにしたがい美的評価がなされる。こうした彼の活動が、美術館を含めた写真市場の基準を準備していく。

 ここで興味深い問題は二つあります。ひとつは、シャーカフスキーとそれ以前のMoMAの写真展示との断絶の問題、もうひとつは、「写真における芸術」と「芸術における写真」との乖離の問題です。シャーカフスキーの前任者エドワード・スタイケンは、彼とは反対に、自身の展示の模範をフォトジャーナリズムとし、誌面同様のダイナミックな視線の誘導を意図した展覧会を企画します(そのイデオロギーは、さまざまな非難をなされている)。つまり美術館における写真は、フォトジャーナリズムの全盛期を後追いして構成されていたが、やがてシャーカフスキーの時代に至ると、社会とのダイナミックな社会との関係を欠落させ、芸術作品化していく。

 後者の問題について。写真家を作家として讃える「写真における芸術」の、「芸術における写真」に対する姿勢は著しく冷淡なものでした。つまり、写真を源としながら、二種類の芸術が独自の展開を遂げ、受容者から展示構成にいたるまで相互に無関係な状態にとどまる。

 こうした展開にはいくつもの時差や時間を見てとることができます。

 60年代から70年代にかけての写真と芸術の布置のさらなる重要な契機が、写真論の登場です。バルトやソンタグの写真論は、芸術写真ではなく、60年代の写真における芸術が前提にしていた、社会における写真を批評の対象にしています。彼らは、ある種の社会的記号として写真を理解し、写真と制度、写真の神話性、スペクタクル性に照準を合わせます。

 彼らの写真論をさらに展開したものとして、多くの写真批評家(ソロモン=ゴドー、クリストファー・フィリップス、ダグラス・クリンプ、ロザリンド・クラウス)やアーチスト/写真家(バーギン、ロスラー、セクーラ)の理論的活動があります。「写真はそれ自身、断片的で不完全な発話」であり、「その意味はつねにレイアウト、キャプション、テクスト、呈示される場所と方法によって方向づけられる」(セクーラ)、この「方向付け」の機能を分析することが70年代以降の写真論や写真実践の核になります。さらにこの動向を受けながら、70年代から80年代にかけて、ポストモダンの芸術において写真を用いたさまざまな試みが行われます。それは、「引用、パスティシュ、アプロプリエーション、反復、シリアリティ、間テクスト性、作者の死、アレゴリー、断片」(クリンプやクレイグ・オーウェンスの言葉)などの特徴の前面化でした。この時期の「芸術における写真」の、60年代のそれとの大きな相違は、後者では真正で客観的な社会的記録としての表象の問題が批判的されていたとすれば、70年代半ばには、消費文化の中にすでにある無意識的なイメージと化した写真の検討、その批判的流用へと実践が移行しているということです。ある種の自然性や外部性や無意識性のメディアである写真の媒介作用、言説的性格が前景化される。

 しかし、こうした経緯を見ると奇妙なことなのですが、この分裂しつづけた写真芸術/芸術写真の双方が、今ではどちらも美術の言説の中に摩擦なく共存しています。ここに欠落していったものは何なのか、それを「アーカイヴ」と「ヴァナキュラー写真」というキーワードを掲げる二つの写真論から考察し、シンポジウムのテーマに対しての私の見方を提起しておきたいと思います。

 ひとつが、アラン・セクーラのアーカイヴ論です。詳細は省きますが、「芸術における写真」、「写真における芸術」、「社会における写真」は、言うなれば三つのアーカイヴであり、その間で滞留し、流動する写真とは、複数のアーカイヴのあいだの実は不安定な力学を顕在化させる媒体となる可能性がある。この可能性が現在切り詰められている。

 もうひとつが、ジェフリー・バッチェンのヴァナキュラー写真論です。彼は、写真を単数形ではなく複数形の写真として扱うよう提案しています。彼が扱うのは芸術写真の観点から扱われることのなかったヴァナキュラー写真です。そこには、内と外、私的公的、メディア間の境界、諸感覚の間の境を踏み越えるような別種の写真の契機が強く現われる。これを手がかりに彼は、写真史そのものを複数化させる論を展開しています。写真のさらなる複数化とその相互の接続、これが彼の論点です。

 以上のように、写真を媒体にして、芸術の展開について話をしてきました。写真は自らも、そして芸術をも複数化しながら時差をおきつつ展開されてきた。それは単数形の写真を、それどころか、単数形の芸術をも複数化している。よく考えれば、写真史/写真論の展開の「展開」という語は写真用語では「現像」と訳します。写真を媒体にした芸術の変貌、それはこうした瞬時の露光から時差を置いた複数の現像の力学の中で議論することができます。展開という語に潜んでいる均質な時間的秩序、芸術的諸制度における写真の均質な囲い込み、この双方を写真というメディアは崩してくれる可能性をもっている、そう言うことができるのではないでしょうか。

(以上061124縮約版)

http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/development%20of%20photography%20theory.htm