Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

メモ

◇ TUESDAY, AUGUST 09, 2005 - think photo

1900ー1930


20世紀前半「機械時代(マシーンエイジ)」とも。機械化は人々のものの考え方や経験の仕方、感じ方に深い影響を及ぼした。


一方で迫り来る機械文明への一種の反動として、機械的即物的なイメージを拒絶し、懐古的に印象派的な朦朧とした絵画イメージを追い求める「ピクトリアリズム」の写真が流行。


アメリカ写真のモダニズム


ピクトリアリズム(絵画主義)と称された写真芸術運動は、19C松から20C初頭にかけてロンドンを拠点にパリをはじめとした大陸諸都市、さらにはアメリカへと広がりを見せる。


■アルフレッド・スティーグリッツ


特にアメリカではヨーロッパとは異なる独自の展開を見せる。中心人物はアルフレッド・スティーグリッツであった。スティーグリッツは1880年代にドイツに留学、1889年アメリカ帰国後ヨーロッパの芸術写真の息吹をアメリカに伝える戸とtも似時刻の芸術写真の進展に尽力。1902年にはフォトセセッション結成。次第に「純粋な写真」「ストレートな写真」に向かう。1917年の『カメラワーク』最終号は、スティーグリッツの写真美学の一つの大きな転換を示す。そこでは芸術写真が尊んだ絵画イメージを追放したポール・ストランドの特集が組まれた。スティーグリッツも1922年には雲をストレートにとらえた連作の政策を開始。彼の写真芸術上重要な概念である「等価物(イクィヴァレント)」に導く。すべての芸術は芸術家の生の体験の「等価物」であるとして、写真の対象の意味を対象そのものにではなく写真家の内面性に置くと言うモダニスト的立場を明確にした。


■ウェストンとアダムズ


ウェストンは、写真にとって最も重要なのは、被写体ではなくどのようなイメージを最終的にプリントとして作り上げるかであると主張。写真制作における主体としての個人の優位を明確にする。


アダムズはスティーグリッツとアダムズが切り開いたモダニズムの写真美学を継承しながら、風景写真の領域でストレートな写真の美学を開花させる。


ウェストンとアダムズは、「f.64」という写真か集団を結成し「ストレートな写真」を独自の写真のあり方として確立しようとした。


こうして20C初頭から1930年代のアメリカ写真芸術では、世紀末的な絵画主義写真からストレートな写真へというダイナミックな展開が見られた。同様の傾向は、ヨーロッパのモダニズム写真にも「新即物主義(ノイエザハリヒカイト)」などとして現れる。


【ヨーロッパの前衛芸術運動と写真】


未来派
フィリッポ・トマゾ・マリネッティは1909年パリの『フィガロ』紙に「未来派宣言」を発表。機械とスピードの美を称賛し、過去の伝統的な美的価値観の打破を叫ぶ。


◆ダダ
1914年第一次世界大戦によって機械の仮借なき暴力性が意識され進歩的歴史観を揺るがすことになった。伝統的な芸術のあり方を根底から否定するラディカルな芸術運動が見られた。既成の価値観を否定し嘲笑を浴びせることで大衆を挑発することである。とりわけベルリン・ダダでは「フォトモンタージュ」という表現形式によるラディカルな展開を見る。ここで伝統的な写真概念は崩壊したと言える。


シュルレアリスム
ダダの運動は「否定」の精神に貫かれていたため「創造」というポジティヴな力として持続しにくかった。1924年アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を行う。否定というダダの精神を受け継ぎながらも、「創造」していく技術運動へとシフトしてゆく。フロイト精神分析理論に影響を受け、無意識の領域を描き出すという動きが現れる。写真に置けるシュルレアリスムの重要な作家はアメリカ人のマン・レイであった。超現実的なイメージの写真の創造者として注目される。また、フランスのドキュメンタリストであるウジェーヌ・アジェを世に出したことでも重要である。アジェは19C末から20C初頭にかけてのパリの街並みを記録したが、事物の本来の意味が曖昧になり未知のイメージに添加するような写真も見いだされたことで注目を浴びる。1930年にはフランスとドイツで写真集『アジェ』が同時に出版される。


構成主義
1917年ロシア革命により社会主義国が誕生したのを契機に1920年頃姿を現した芸術運動。1910年代のロシア・アヴァンギャルドの画家たちによる抽象絵画運動が到達した徹底的な抽象化と幾何学的な造形の原理を引き継ぎながら、20世紀の機械文明を芸術の新たな可能性として積極的に受け止め、グラフィック、建築、テキスタイルなど様々な造形領域で新社会にふさわしい革命的な芸術を追求し実験と実践を行う。伝統の否定という点ではダダやシュルレアリスムに通じるtが、造形芸術を生産的活動の一環ととらえた点。したがって、構成主義では芸術家は特権的な創造者と言うよりむしろ創造的な技術者として位置づけられる。アレクサンドル・ロトチェンコなど。


バウハウス
1919年、ドイツのワイマールでバウハウスが設立される。その教育理念は、20Cの機械文明の重要性を明確に意識したもの。写真の領域においても注目すべき活動が生まれた。中心人物の一人は、モホイ=ナジである。新時代の写真は対象の描写という伝統的な役割から解放され、写真を他の芸術から区別する本質的な現象である「光」による造形活動であると主張。バウハウスは写真をフラフィックデザインの要素として用いる手法において、同時代の商業美術にも大きな影響を与えた。

http://aoi-june-photo.blogspot.jp/2005/08/19001930-20-19c20c-18801889t1902191719.html
どなたかのメモをメモ。ただし要検証。