板垣鷹穂(いたがき・たかお 1894〜1966)美術史家、美術評論家。1929年の「機械美論」以降、「現代芸術考察者」として同時代の視覚的諸現象についての考察を深め、建築、デザイン、映画も視野に収めた執筆・制作活動を展開した。雑誌『新興芸術』『新興芸術研究』の編集も手掛けた。本書では板垣の先駆的かつ多彩な言説を、美術評論だけでなく、写真評論、映画論・映画評論、随筆など多面的に編纂。
「絵画史上のクラシックに就いて」(美術新論1929年1月)/「機械文明と現代美術」(思想1929年4月)/「機械と芸術との交流」(思想1929年9月)/「機械のリアリズムへの道」〈全3回連載〉(東京朝日新聞1929年9月10日〜12日)/「絵画の貧困」(中央公論1930年3月)/「美術の歴史的理解に就いて」(美学研究1930年4月)/「現代芸術考察者の手記」(新興芸術研究1931年2月)/「商業芸術の諸相」(中央公論1931年8月)/「美術に於ける過去と現在」(美術新論1932年1月)/「絵画は何うなるか? 質問者:中川紀元」(美術新論1933年5月)/「ヨーヨーと芸術論」(若草1933年6月)/「図画教育に就いて」(教育研究1935年12月)/「美術博物館の新築」(『造形文化と現代』1942年)/「戦争と美学」(新文化1941年12月)/「戦争画の現代的使命」(『芸術観想』1943年)/「芸術政策と新日本工芸」(美術及工芸1946年8月)/「広告写真の新傾向に就いて」(『国際広告写真展選集』1930年)/「都会の性格描写とカメラ」(新潮1931年10月)/「グラフの社会性」〈全3回連載〉(東京朝日新聞1931年12月14日〜16日)/「視覚的叙述に就いての小感」(思想1932年2月)/「新興写真の現在と将来」(アサヒカメラ1933年1月)/「写真芸術の将来に就いて」(光画1933年6月)/「現代写真三題」(フォトタイムス1934年6月)/「肖像写真考」(フォトタイムス1934年12月)/「一九三五年の写真界に」(フォトタイムス1935年1月)/「アマチュアへ捧げる写真の座談会」(アサヒカメラ1935年12月)「四大写壇の局外観」(アサヒカメラ1936年7月)/「報道写真の過去現在未来」(アサヒカメラ1938年10月)/「壁面写真の発達と米国万博」(国際建築1939年5月)/「事変と写真」(アサヒカメラ臨時増刊1940年2月)/「技術国策と宣伝技術」〈全4回連載〉(技術評論1940年3月〜7月)/「写真芸術に於ける日本的性格」(『造形文化と現代』1942年)/「国民芸術と写真」(『芸術観想』1943年)/「日本の写真と海外の写真」(アサヒカメラ臨時増刊1951年4月)/「現代写真展について」(カメラ1953年11月)/「興行映画を如何に扱ふか」〈全3回連載〉(東京朝日新聞1931年8月16日〜18日)/「建築祭の記念映画―官庁製作の映画其四」(フォトタイムス1935年8月)/「建築の東京撮影記録」(フォトタイムス1935年8月)/「日本映画の主要問題」(日本映画1936年4月)/「小型映画界の動向」(『芸術観想』1943年)/「映画の綜合芸術的性格」(映画評論1941年12月)/「映画法実施当時に於ける映画推薦の機構と目的」(『芸術観想』1943年)/「アメリカ映画の特性」(映画芸術1947年3月)/「建築の様式的構成」(新潮1931年6月)/「本年の建築界」(国際建築1935年12月)/「建築雑記1936年」(国際建築1936年12月)/「最近の手記から」(国際建築1937年3月)/「建築雑記」(国際建築1938年3月)/「八郎潟の水田化」(『造形文化と現代』1942年)/「建築・彫刻の歴史上に於ける特殊性」(日伊文化研究1942年9月)/「大東亜共栄圏に於ける建築様式(座談会)」(建築雑誌1942年9月)/「古い手紙―小林多喜二氏のこと」(新潮1933年4月)/「硝子」(思想1941年9月)/「レオナルドに因む追憶」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』1943年)