Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

耳なし芳一 - Wikipedia

耳なし芳一(みみなしほういち)は、安徳天皇や平家一門を祀った阿弥陀寺(現在の赤間神宮山口県下関市)を舞台とした物語、怪談。小泉八雲の『怪談』にも取り上げられ、広く知られるようになる。
八雲が典拠としたのは、一夕散人(いっせきさんじん)著『臥遊奇談』第二巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」(1782年)であると指摘される[1][2]。
『臥遊奇談』でも琵琶師の名は芳一であり、背景舞台は長州の赤間関阿弥陀寺とある。これは現今の下関市赤間神社のことと特定できる。
昔話として徳島県より採集された例では「耳切り団一」[3]で、柳田國男が『一つ目小僧その他』等で言及している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%81%AA%E3%81%97%E8%8A%B3%E4%B8%80


◇ 耳切団一とは - コトバンク

耳切団一 みみきり-だんいち

民話の主人公。
徳島県につたわる話では琵琶(びわ)法師で,官女の霊にとりつかれ,毎夜墓場で琵琶を弾奏。心配した旅の僧に全身にまじないをしてもらったが,まじないをうけわすれた耳を迎えにきた霊にとられる。寺の小僧が山姥(やまうば)においかけられる類話が福島県,新潟県につたわる。

https://kotobank.jp/word/%E8%80%B3%E5%88%87%E5%9B%A3%E4%B8%80-1113398


◇ 耳切り団一の話: ケペル先生のブログ

この話は徳島県鳴門に伝わる伝説であるが、ほかにも四国には「耳切坊主」の話が伝わるし、沖縄にも同様の話が伝えられる。南方系説話とみることができる。「耳切り団一」の話に平家の亡霊のしわざであるという付加的な要素が加えられたのが小泉八雲の「耳なし芳一」である。8歳で二位の尼に抱かれて壇ノ浦の海に沈んだ安徳天皇の墓前であり、平家琵琶の「壇ノ浦の合戦」のもの悲しい調べとともに、聞くものの涙をさそうようになった物語は文学的に高められている。

http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-bc63.html


耳なし芳一と地蔵信仰: BLOG FRY

 学習院大学の兵藤先生の学会での「物語の語り手と地霊の信仰」のご発表に触発されて、国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベース等を色々と調べていた。
http://www.nichibun.ac.jp/


 問題なのは、ラフカディオ・ヘルンの耳なし芳一の原話を探る作業が必要になってくる点である。実際にこのデータベースの分類番号0640052で確認することが出来た。
 大正3年6月に徳島県鳴門市で収集された民話で、「耳切り団一」というのがある。
「団一という盲目の琵琶法師が、女に誘われてから毎晩御殿に琵琶を弾きに行った。ある旅の僧が墓地を通りかかると、やせ衰えた琵琶法師が一心不乱に琵琶を弾いていた。旅の僧は話を聞き、琵琶法師の体中にまじないを書いたが耳だけに忘れた。翌晩、女が来て団一を連れて行こうとしたが、まじないがあるから連れて行けず、耳だけを持って行ってしまった。」
 ここで注目されるのは、原話は平家の亡霊譚ではないことである。
 話型を明確にする為に、記号化分析を行ってみると、

http://fry.asablo.jp/blog/2008/12/01/3984273


小泉八雲著「耳なし芳一の話」 - 文学にみる障害者像
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n182/n182_036.html