Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

伊藤整「逃亡奴隷と仮面紳士」関連

◇ 1hasi_to_Bungaku

一橋の学問を考える会
「橋問叢書第二十二号」

一橋と文学     文芸評論家  瀬沼茂樹

 戦後は『小説の方法』という評論と『鳴海仙吉』という長編小説とで出発します。『小説の方法』は、日本と西洋の小説の違い。両方の形式としての違いを明らかにします。有名な「仮面紳士」と「逃亡奴隷」という言葉が出てきます。「仮面紳士」というのは、イギリス人は紳士のような顔をして暮らしているけれども内面にはさまざまな慾望や罪を背負っているんだ。だから仮面をつけて生活しているんだという意味から来ているわけです。西洋の本格小説はそういう「仮面紳士」の所産である。ところが日本の文学は「逃亡奴隷」の文学だ。日本の社会からはじき出されて、そして文壇という世界に逃げ込んだ奴隷のような自主性のない人たちの文学だ。それが私小説なんかにだんだん結実していくんだという新しい小説理論。伊藤の公式、伊藤の理論ができ上がるわけです。ただそれだけではありませんけれども、同時代の平野謙と対立して、平野謙の公式に対して伊藤整の理論というところから、理論家としての伊藤の独自性のあり方がわかります。そんなにむずかしい本ではないので、ただ伊藤は一人合点の言葉で書いているところがあって、客観的に読むにはむずかしい。大学で文学概論の教科書に使われていますから。皆さんお暇なときには、文庫に入っていますから、日本の文学の理論的な新しい理論を立てたんだという一つのものとして見ていただきたいと思います。

 『鳴海仙吉』は、戦争中の『得能五郎』に匹敵するものです。ただ『鳴海仙吉』はジェームス・ジョイスの『ユリシイズ』のマニエルをもって書いていますから、詩や戯曲や小説や講演や感想や何かが一編の小説にまとめられております。これは皆さんもよく御承知の、戦後民主主義における、文壇におけるマルキシズムの進出に対する伊藤整の、自分の新心理主義と言われた、外から人間を攻略するか、内から人間を攻略するか。人間の本質は何か、人間を究める。文学は人間学ですから、人間とは何ものか。どういう存在であるか。複雑な存在の根本を究める問題で、それを内面から究めるのをさまざまな形のジャンルの小説を使って書いた、わが国におけるジェムス・ジョイスの『ユリシイズ』に匹敵するものだと言ってもいいんじゃないかと思うんですが、そう言ったらドナルド・キーンに、ジョイスの方がもっと深い思想があるというふうに攻撃されましたけれども・ドナルド・キーン氏の深い思想というのは恐らく神に結びつく思想だと思います。神に結びつく内在神の信仰に結びついたから深いということも言えますけれども、内在神の信仰の問題のほかに、そういう人間を内部的に突き進んでいく究めていく。そういう問題としての文学が生まれてきたんじゃないかと思います。

 最後の三部作が残っていますが、『氾濫』『発掘』『変容』ですが、伊藤はチャタレイ裁判によって有名作家になった。流行作家になった。そうしたらそれにしたがって生活の仕方が膨張していく。交友や家族やなんかもいろんな欲望が出てくる。また、僕もよく知っているんですけれども、遠い縁人が頼っていろいろと都合のいいことを持ち込んで来る人がいる。そういうような氾濫状態になった人間の生き方を書いているものです。つまり流行作家となって生活の膨張、それに伴う家庭関係の変化。交友や知人の氾濫状態を『氾濫』に書いている。
 次の『発掘』は生前には本にしなかったんですが、私が代って本にしました。それは老人になって健康問題になってきて、最後の心配は癌の問題ですが、肺癌という死病につかれた実父の問題。それから岳父の老衰、私生児の自動車事故というようなさまざまな要素を書きながら、その品行上の罪と罰がどういうふうな帳尻になってくるかということを追求した小説です。

 『変容』は、僕よりもう少し若いお年寄りの方が、忘老年とは何かという問題について追求していく。岩波文庫で最近出ましたから御覧になれると思います。彼は六十五ぐらいで死ぬんですが、自分の晩年に窺い知った老年の問題を、生の姿を変えていく形としてだんだん老年になってくる。本当の人生の姿というのは老年になって本当にわかるのではないか。老年の栄光、老年の新鮮な意味を追求したことにあると思います。

 彼は一方において、理論家としまして『小説の認識』とか『求道者と認識者』というような文学理論を立てています。それから、『日本文壇史』十八巻を書きます。『日本文壇史』十八巻は九巻ぐらい出版してありましたが、後の九巻は彼の原稿を整理して十八巻に整理しました。それは明治四十二年ごろまでですから、私は、伊藤をイギリス文学との関係で日本の漱石だというふうに考えていますから、その漱石の死ぬ年(大正五年)までの六巻分を書き足しました。それで二十四巻になっています。これは講談社から出ています。

 彼には晩年にもう一つ大きな仕事があります。それは『若い詩人の肖像』 で自分の青春時代を書いたとともに、『年々の花』という小説を書いて、父親が日露戦争に出征して二〇三高地で負傷して帰ってきてから死ぬまでの経歴をたどった。これは戦争中の作品と交錯してきますから、そこで新しいそういう戦争の問題を父親に借りて考えたと言ってもいいと思います。そういう『年々の花』という小説があります。他に僕が傑作だと思う「火の鳥」もあります。

 これで大体伊藤整のやってきた仕事のあらましを非常に粗く、私流に勝手に、あんまり十分整理もできないでお話ししたわけです。

http://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2005_Mokuji/Kyoumonsousyo/dai22gou/1hasi_to_Bungaku.htm


◇ [PDF] 伊藤整「近代日本人の発想の諸形式」(昭和二十八年二月−三月)
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/pdf/itosei02.pdf


>>>小説の方法 〜 伊藤整 - 備忘録
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20130226#p2