Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

2015-03-11 4年前の14時46分くらいの時間を思い出す - &&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&

・ある時期に誰もが「同じ時」を経験している、と感じていたこと、感じているように思っていたことを今不思議に思う。時間が経った。201503111430。例えば先月香川県の島へ行き、少し前に関東から移住した人の話を聞いていても「311(さん・いちいち、または、さんてんいちいち)」という語が発話されることがある。この語の響き、発話される感じに今何を思うか。純粋にある時間ある時期を指し示す記号のようなものになっていることをあらためて思う。「311以降」と言うだろう。「311からこっち」「311を境に」「311以前からも」「311をきっかけに」そういう言葉が存在している。自分の思考にもそういう記号が確かにある。


・ひとつ、その記号が記号であることについて考えることも必要だと思った。例えばその揺れを感じた時からの時間の長さについて、あるいはその揺れを感じた地点と今(偶然にも)合っている場所との物理的な距離について、それぞれ考える(思い出す)ことができる。あるいは考える(思い出す)そのたびごとに、思い出すこと自体が変化していくこと。その思い出す先には「311」がある。そして思い出して、語り合うことがその「311」という記号を作り、育てていったということなのか。


・46分くらいにはまた別のことを考える。震源地のことを想像しようとしたけれどもそれは難しかった。祈ってみようとする。


・「311」の後に「私にできることは何だろう」という問いを立てることが自分にあって、おそらくは別の誰かにもあって、多くの人にムードとしてあって、一方でそういう問いを立てること自体をやんわりとたしなめるような言葉もマス・メディアあるいはソーシャル・メディアで見る・聞く・読むことがあって、その問いはトレンドのようにすっかり消費されてしまったように思われるのだけれども、しかしいつだってその問いを自分の言葉で立て直すことはできるのだとふと思う。あらゆる時間を任意の点とすることは可能であるが、多くの人に共通する任意の点もある。いずれにせよその点を打ち直すこと。打ち直すために思い出すこと。過去を出来る限り鮮明に見ようと覗きに飛んでいって、そして今に戻ってくること。201503111503。


・戻ってきてメモ。何かに寄りかからずに問いを立てることはできるか。自分が何に寄りかかりそうになっているかを自分で知ることはできるか。そうして問いに応える/問いを立て直し続けることはできるか。そのことと「方法をつねに検討・更新しながら物事を進めていく」ことをどのようにひとつのあり方に組み込んでいくことができるのか。そうしたあり方に(欲張りにも)ユーモアすら巻き込んでいくことはできるのか。などなど。

http://d.hatena.ne.jp/MRTR/20150311