『美術史の基礎概念 近世美術における様式発展の問題』ハインリヒ・ヴェルフリン
Kunstgeschichtliche Grundbegriffe. Das Problem der Stilentwicklung in der neueren Kunst(独), Heinrich Wölfflin
1915年に刊行された美術史家ハインリヒ・ヴェルフリンの主著。西欧の盛期ルネサンスとバロックの美術(絵画、建築、彫刻、装飾芸術)を主対象に、様式史的な方法論の確立を目指した書物であり、美術におけるフォーマリズム(形式主義)的分析の発信源のひとつとなった。線的/絵画的、平面/深奥、閉じられた形式/開かれた形式、多数性/統一性、明瞭性/非明瞭性の五つの対概念を軸に、美術史の視覚的な深層としての「様式」概念を普及させた、様式論の基礎文献である。いずれも前者が盛期ルネサンス様式に、後者がバロック様式に対応する。ヴェルフリンは、あらかじめ価値判断を留保したうえで、ある様式の歴史的な必然として線的/絵画的などの二項間の移動を論じ、いかなる表現も、特定の視知覚的な限界に拘束され、その時代的制約から自由になることはないと論じた。その議論は、第一の類型(古典的局面)の完成に続いて第二の類型が生じるという定式をもつ。その結果、美術作品の形式は、様式史的発展の内側で内在的に決定され、外的条件である社会的・政治的・経済的・宗教的事象はその発展に決定的に作用するものではないと判断される。したがって、美術作品の視覚的・造形的側面を重視するヴェルフリンのフォーマリズムは、対概念である二つの様式間の必然的推移という歴史観に担保されていたことになる。この、フォーマリズムがはらむ歴史主義は、ヴェルフリンの対概念を踏襲した批評家クレメント・グリーンバーグの「絵画的抽象以後」(1964)などのテキストにも徴候的に見出すことができる。
著者: 沢山遼
参考文献
『美術史の基礎概念 近世美術における様式発展の問題』,ハインリヒ・ヴェルフリン(海津忠雄訳),慶應義塾大学出版会,2000
『グリーンバーグ批評選集』,クレメント・グリーンバーグ(藤枝晃雄編訳),勁草書房,2005
『様式』,マイヤー・シャピロ、エルンスト・H・ゴンブリッチ(細井雄介,板倉寿郎訳),中央公論美術出版
◇ 芸術意志 | 現代美術用語辞典ver.2.0
芸術意志
Kunstwollen(独)
美術史家アロイス・リーグルが『美術様式論 装飾史の基本問題』(1893)で採用した概念。人間に本来備わっているとされる超個人的な芸術や装飾への意欲・欲求のこと。リーグルは、それぞれ別の自律的系統として記述されていた古代エジプトからギリシャを経て末期ローマに至る様式と、ビザンツを経てアラビア文様に至るまでの様式とに発展史的なつながりがあることを主張した。リーグルの学説は古典古代を普遍的で特権的な対象とし、その他の時代・地域の美術工芸(特に装飾芸術)を「マイナー」なものとする従来の人文学や美術史学の価値観に疑問を投げかけるものであると同時に、G・ゼンパーが提唱した技術的・唯物論的な装飾史観(より正確にはゼンパーの理論に端を発するゼンパー主義の蔓延)を批判する目的のもとになされた。それは装飾を、使用、材料、技術の目的論から創造的な芸術的意志の目的論へと解放するものである。そのためリーグルは、芸術作品に先駆者とその模倣者が現われるように、装飾文様に内在する美的感性やモチーフの細部も、創造的に再生産されるものであるという。このようなリーグルの精神主義的な「意志」概念の反響は、後続する美術史家W・ヴォリンガーが提唱した「抽象衝動」と「感情移入衝動」にも見出すことができる。
著者: 沢山遼
参考文献
『リーグル美術様式論 装飾史の基本問題』,アロイス・リーグル(長広敏雄訳),岩崎美術社,1990
『抽象と感情移入』,ヴォリンゲル(草薙正夫訳),岩波文庫,1953
http://artscape.jp/artword/index.php/%E8%8A%B8%E8%A1%93%E6%84%8F%E5%BF%97
◇ 触覚性 | 現代美術用語辞典ver.2.0
触覚性
Haptisch(独), Haptic(英)
美術史家アロイス・リーグルが『末期ローマの美術工芸』(1901)で提起した視知覚の概念。リーグルの分類において「遠隔視的」な視覚に対する「近接視的」な視覚とも定義される。リーグルはエジプト美術に顕著に見られる、複数の形象が奥行を持たない状態で並列する平面的な作品様式を触覚的な様式の最たるものとし、平面性に捕われた古典古代、ヘレニズム時代、初期ローマがそのような様式に相当するとした。逆に、空間的かつ三次元的なイリュージョニズムを備えた末期ローマの美術工芸における空間認識の把握はより「近代的」であるとされる。そのような意味で、末期ローマ以前の様式は、事物の限界(表面)を視覚がなぞるように作品が知覚されるという側面を持つ。「触覚性」というメタファーを用いて定義される「近接視」とは、建築や彫刻における物理的な表面のそのような平面的把握を指すのであり、逆に「遠隔視」における非物質的な空間的イリュージョンとは、非直接的な複数の知覚の組み合わせ(高さ、奥行、幅等々)、あるいはより複雑化した主観的な思考過程において捉えられるものだった。そのため、リーグルは触覚を視覚に対してより原始的な立場に置いたといえるが、作品の表面の表象を触知可能な「触覚」という生理的・物理的抵抗感において記述しようとするその特異な思考には、W・ベンヤミンやG・ドゥルーズらも注目を寄せた。
著者: 沢山遼
参考文献
『末期ローマの美術工芸』,アロイス・リーグル(井面信行訳),中央公論美術出版,2007
http://artscape.jp/artword/index.php/%E8%A7%A6%E8%A6%9A%E6%80%A7
◇ 様式 | 現代美術用語辞典ver.2.0
様式
Style(英), Stil(独)
大衆文化におけるアイデンティティの提示として日常化した「行動様式」または規範や価値判断を含んだ古来の「文体」と混用されつつ、作品や作者の集合に類型的な特徴を指す。ビュフォンの文言「文(style)は人なり」(1753)は、被造物の真なる表現という古典主義的規範詩学を引き継ぎながら、以降芸術家固有の個人様式の希求または強調(小説家の「文体」が典型)に転用された。一方旅行、印刷術、美術館などの発展によって、作品の比較と多様性の認識が容易な条件が整備された16-18世紀、この語は芸術一般に移植され、民族、時代、流派の特徴つまり集団様式を指すようになった。古典主義の下では建築の「オーダー」の考え方も様式に近づいたとはいえ、集団様式という考えは精神的背景と造形との連関を前提した芸術史学(例えばA・リーグル)の根幹である。個人様式とともに作品の特定・分類、真贋鑑定や価値評価の原理となり、また19世紀後半からウィーン学派を中心とする方法論的探求を促した。特にH・ヴェルフリンは作者や作品内容から純粋な視覚形式を独立させ、芸術に内在する様式の時代展開の契機を定位した。様式は客観的な分析を導く没価値的な分類概念にとどまらず、元は蔑称だった様式名があるように、好悪などの主観を含んで直感的に感知される。またこの概念は作品完成後の分類に使われたばかりか、19世紀末建築のリヴァイヴァリズムのように、カタログ的に整備された諸様式から(ときに折衷的に)選択・適用されるという時制の捻れをも示したが、これは諸様式を規範として等価にみなした結果と言える。つづく表現主義などの反動と併せると、E・スーリオの指摘どおり※1様式が独創と規範の相反する両面を含むことがわかる。
著者: 天内大樹
参考文献
『美術史の歴史』,ヴァーノン・ハイド・マイナー(北原恵ほか訳),ブリュッケ,2003