Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

絓秀実「全共闘という愚行」 - Hatena::Diary

(1) 当事者中心主義の彼岸*1
愚行/愚劣
全共闘は存在しない
軽挙と誤解?
「無責任」へ
(2) 無意識としての「産学協同反対」(1)*2
全共闘の前哨
ヤクザと学生服
「大学解体」以前
諸刃の刃の論理
(3) 無意識としての「産学協同反対」(2)未来はないと知ること*3
「未来は見え」ていたのか
ブルジョアの「礼節」
エリーティズムの維持
新制大学の研究者たち
(4) 無意識としての「産学協同反対」(3)「大学解体」というモチーフの登場*4
日大全共闘の問題
学生という相対的過剰人口
「高価な労働力」の不可能性
大学というイデオロギー装置
(5) 反システム運動としての「大学解体」(1)*5
戦後民主主義批判とは何か
丸山真男と「わだつみの像」
アカデミシャンへの「信頼」
「日本の学問は十年遅れた」
(6) 反システム運動としての「大学解体」?「戦後民主主義批判」とは何か*6
社民的なものをめぐって
新左翼全共闘
リベラリズムと福祉主義
資本主義とナショナリズム
(7) 反システム運動としての「大学解体」?機能失調する「就職予備校」*7
大衆教育社会の帰結
六〇年安保世代との相違
現在の大学院生の位置
死滅するマンモスとしての大学
(8) 日本における「六八年の思想」?*8
疎外論アメリカニズム
日仏の初期マルクス批判
ヒステリーとルサンチマン
(9) 日本における「六八年の思想」?*9
宇野弘蔵の理論的射程
岩田危機論と全共闘
ウォーラーステインと現代の危機
三島由紀夫と世界資本主義の危機
(10) 日本における「六八年の思想」?(上)*10
六〇年代カウンター・カルチャー
ボヘミアン的反抗
「抑圧の仮設」の導入
「造反教官」たち
(11) 日本における「六八年の思想」?(下)*11
アカデミズムからの「自立」の帰結
六八年から九〇年へ
「世界思想」の不可能性
「外」の政治的な再定義
(12) アイデンティティ・ポリティクスの転移*12
丸山真男全共闘批判
「自己否定」の帰結
内ゲバとマイノリティ運動
丸山の批判が機能しない領域
(13) マイノリティ運動の思想的背景*13
六八年における「公」と「私」
マイノリティ問題の歴史性
第三世界論とリベラリズム
ヒューマニズムの可能性
(14) 日本におけるポストモダンの成立*14
第三世界論の二方向
吉本隆明ベ平連批判
沖縄論登場の文脈
「良心の疾しさ」の回帰
(15) 「六八年」の世代的表現*15
忘れられたイデオローグ
戦後的なものの呪縛
スターリン批判の諸相
一九三〇年代の継承
(16) 市民主義の再導入*16
「疾しい良心」の露呈
アジアの発見
六八年ポストコロニアリズム
「生活の場」の内と外
(17) 「差別論」のディレンマ*17
マイノリティという問題系
負債を決裁する主体
等価交換の原則の回帰
「他者」は存在しない?
(18) ロマン主義的心性の失墜*18
石原慎太郎全学連
文学的ロマン主義の行方
六〇年代反文化運動の核心
「前衛」美術運動の位置
(19) ジャンク的なものの導入*19
反芸術/反権力
ジャンク化/散文化
「桜画報」と野次馬
市民主義化するジャンク
(20) 「もの」としての国家*20
憲法論議の不在
権力論の転換
カルチュラルスタディーズと江藤淳
享楽の対象としての国家
(21) 予言者的知識人の廃虚*21
レーニン主義と知識人
知識人のジャンク化
六〇年安保の二つの「総括」
知識人に依拠せぬ革命
(22) 「戦争」への欲望と、その隘路*22
先送りされる「予言」
「革命戦争」の失墜
「戦争と革命の時代」の終わり
レーニン主義への回帰
(23) 文化大革命のもたらしたもの*23
文革オリエンタリズム
労働運動の終焉
言語論的転回と六八年
毛沢東ニーチェ
(24) 最終決定審級の破壊*24
スターリン批判の思想
経済決定論からの脱却
知識人の機能失調
テクノクラートと「大衆」
(最終回) 六八年革命から「J回帰」へ*25
下部構造からネイション・ステイトへ
マルクス主義の代補
ハンチントン理論の文脈
「二つのJ」の露呈

http://d.hatena.ne.jp/YokoiMoppo/20141212/1418331899


◇ 作品社|革命的な、あまりに革命的な 「1968年の革命」史論

【内容】
「20世紀唯一の世界革命」1968年に至る60年代日本の政治的/思想的/文化的パラダイム・シフトと、その現在性を克明に描き出す渾身の長編評論! 日本現代史に新たなパースペクティブをひらく!


パリの「五月革命」や日本の「全共闘」として知られる「一九六八年」は、世界システム論で知られるエマニュエル・ウォーラーステインの表現を用いれば、「二〇世紀唯一の世界革命」であり、政治・経済レベルのみならず、芸術・思想の領域においても決定的な切断をもたらしたことは、今や世界的に認知されている。本書は、この一九六八年を、日本の状況に即して、文学・演劇・映画から哲学・思想の領域で、いかなる意味を持っていたかについて論じたものである。
六〇年代に生じていた文学・哲学・芸術領域のパラダイム・シフトを個々具体的に論じ、併せてそれが現代の問題にどのように関わっているかを明らかにする。
一九六〇年代を論じた書物は日本においてもいくつか存在するが、多くは一面的な回顧録あるいは情緒的な記述にとどまっており、本書のごとく広範な領域を冷静かつ客観的に論述したものは皆無といってよい。また、日本の現代思想文学史は今日においてもおおむね「戦後」(一九四五年)を基点として書かれてきたが、本書は「一九六八年」を中心とすることで、まったく新しいパースペクティブをひらく。


【内容目次】
第?部 ニューレフトの誕生
「歴史の必然」からの自由がもたらされた時/文化的ヘゲモニー闘争の「勝利」とアポリア/「実存的ロマンティシズム」とニューレフトの創生/大江健三郎における保守的革命主義の帰趨/廣松渉による「疎外革命論批判」の深度と射程
第?部 カウンターカルチャーと理論的実践
詩的言語の革命と反革命アンダーグラウンド演劇のアポリア/小説から映画へのエコロジー的転回/宇野経済学と「模型」千円札
第?部 生成変化する「マルチチュード
世界資本主義論から第三世界論へ/戦争機械/コミューン/ゾンビをめぐるリンチ殺人から内ゲバという生政治へ/一九七〇・七・七という「開戦」

http://www.sakuhinsha.com/history/5545.html


◇ なぜ、絓秀実の「1968年論」に、柴田翔の『されど、われらが日々』が出てこないのか? - いか@ 武相境斜面寓 『看猫録』
http://blog.goo.ne.jp/ikagenki/e/2df8637e8d758e07ba6a3f9c6b3e1839/


◇ 一九六八年革命小史 - スガ秀実
http://www.juryoku.org/02suga.html