Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

Afterward from The Democratic Forest - William Eggleston in Conversation with Mark Holborn - WILLIAM EGGLESTON

I am afraid that there are more people than I can imagine who can go no further than appreciating a picture that is a rectangle with an object in the middle of it, which they can identify. They don't care what is around the object as long as nothing interferes with the object itself, right in the centre. Even after the lessons of Winogrand and Friedlander, they don't get it. They respect their work because they are told by respectable institutions that they are important artists, but what they really want to see is a picture with a figure or an object in the middle of it. They want something obvious. The blindness is apparent when someone lets slip the word 'snapshot'. Ignorance can always be covered by 'snapshot'. The word has never had any meaning. I am at war with the obvious.


-- From a conversation with Mark Holborn, Greenwood, Mississippi, February 1988

http://www.egglestontrust.com/df_afterword.html


◎ WILLIAM EGGLESTON
http://www.egglestontrust.com/

SHORT: Gabriel Orozco: "Mirror Crit" - Art21

Artist Gabriel Orozco conducts what he calls a “Mirror Crit,” during which he presents a student’s artwork as if it is his own. Orozco conceived of the Mirror Crit after doing one-on-one critiques with college art students, where they typically explain or defend their work. Orozco sought an alternative to help students better understand what their images communicate. He discusses each photograph without having previous knowledge of the student’s background or intentions, allowing the images to, in a sense, speak for themselves. The Mirror Crit session in this film features the work of Maximiliano Siñani, and took place as part of Gabriel Orozco’s Spanish Lessons project at Marian Goodman Gallery (New York) in late 2013.


CREDITS: Producer: Ian Forster. Consulting Producer: Wesley Miller & Nick Ravich. Interview: Ian Forster. Camera: Rafael Salazar & Ava Wiland. Sound: Ava Wiland. Editor: Rafael Salazar. Artwork Courtesy: Maximiliano Siñani. Special Thanks: Marian Goodman Gallery. Theme Music: Peter Foley.


Exclusive is supported, in part, by the New York City Department of Cultural Affairs in partnership with the City Council; 21c Museum Hotel, and by individual contributors.

http://www.art21.org/videos/short-gabriel-orozco-mirror-crit

ジュディス・バトラー『戦争の枠組 ─生はいつ嘆きうるものであるのか』(訳:清水晶子 筑摩書房)

序章 あやうい生、悲嘆をもたらす生
第1章 生存可能性、被傷性、情動
第2章 拷問と写真の倫理―ソンタグとともに思考する
第3章 性の政治、拷問、そして世俗的時間
第4章 規範的なものの名における非‐思考
第5章 非暴力の要求

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480847195/
http://www.amazon.co.jp/dp/4480847197

写真史/写真論の展開 前川修(藝術学関連学会連合第1回公開シンポジウム「藝術の変貌/藝術学の展開」2006年6月17日、於日本大学)

 デヴィッド・キャンパニー『芸術と写真』から話を始めてみます。この本は1960年から90年までの「芸術における写真」を俯瞰した図版集成です。そこには、二つの興味深い論点を見いだすことができます。第一に、60年代から現在までの芸術実践に、写真的な方法や原理がすっかり入り込んでいるという指摘があります。第二に、「芸術と写真」の意味が、従来のそれ(「芸術写真」)とは逆のものになっているという論点があります。後者を「写真のなかの芸術」と呼ぶなら、前者はむしろ、「芸術のなかの写真」です。

 この二種類の写真の1960年代以後の展開を、芸術の変貌に即して概観してみます。まず「芸術における写真」について。1960年代、芸術において手がかりとされたのは、マスメディアやポピュラー・カルチャーにおける写真の役割でした。日常に浸透し、匿名的、事実的、反復的、事後的な写真のあり方が、芸術と社会との中継地点として批判的に検討され、使用されます。

「写真における芸術」に目を向ける前に、芸術外の写真についても言及しておきます。注目すべきことは、60年代から70年代にかけてのフォトジャーナリズムの展開です。フォトエッセイという、事件を像とテクストによってヒューマニスティックに語る手法の有名な事例が見られるのもこの時期のことです。しかし、すでに70年代初頭、フォトジャーナリズムは危機を迎えていました。TVの報道にともない、写真は唯一の媒介者としての地位から二次的な地位に推移する。この事態は、「芸術における写真」の写真へのアプローチにも変更を迫ります。

それでは、「芸術における写真」の逆である「写真における芸術」は、どのような展開を被っていたのか。その典型が、美術館での写真展やカタログ制作などの活動です。MoMA写真部門のジョン・シャーカフスキーは、60年代から90年代まで多くの展覧会を企画しています。その基礎には、フォーマリスティックな写真の美学があり、同時代の写真家も、19世紀の職業写真家もすべて、モダニズムの枠組みにしたがい美的評価がなされる。こうした彼の活動が、美術館を含めた写真市場の基準を準備していく。

 ここで興味深い問題は二つあります。ひとつは、シャーカフスキーとそれ以前のMoMAの写真展示との断絶の問題、もうひとつは、「写真における芸術」と「芸術における写真」との乖離の問題です。シャーカフスキーの前任者エドワード・スタイケンは、彼とは反対に、自身の展示の模範をフォトジャーナリズムとし、誌面同様のダイナミックな視線の誘導を意図した展覧会を企画します(そのイデオロギーは、さまざまな非難をなされている)。つまり美術館における写真は、フォトジャーナリズムの全盛期を後追いして構成されていたが、やがてシャーカフスキーの時代に至ると、社会とのダイナミックな社会との関係を欠落させ、芸術作品化していく。

 後者の問題について。写真家を作家として讃える「写真における芸術」の、「芸術における写真」に対する姿勢は著しく冷淡なものでした。つまり、写真を源としながら、二種類の芸術が独自の展開を遂げ、受容者から展示構成にいたるまで相互に無関係な状態にとどまる。

 こうした展開にはいくつもの時差や時間を見てとることができます。

 60年代から70年代にかけての写真と芸術の布置のさらなる重要な契機が、写真論の登場です。バルトやソンタグの写真論は、芸術写真ではなく、60年代の写真における芸術が前提にしていた、社会における写真を批評の対象にしています。彼らは、ある種の社会的記号として写真を理解し、写真と制度、写真の神話性、スペクタクル性に照準を合わせます。

 彼らの写真論をさらに展開したものとして、多くの写真批評家(ソロモン=ゴドー、クリストファー・フィリップス、ダグラス・クリンプ、ロザリンド・クラウス)やアーチスト/写真家(バーギン、ロスラー、セクーラ)の理論的活動があります。「写真はそれ自身、断片的で不完全な発話」であり、「その意味はつねにレイアウト、キャプション、テクスト、呈示される場所と方法によって方向づけられる」(セクーラ)、この「方向付け」の機能を分析することが70年代以降の写真論や写真実践の核になります。さらにこの動向を受けながら、70年代から80年代にかけて、ポストモダンの芸術において写真を用いたさまざまな試みが行われます。それは、「引用、パスティシュ、アプロプリエーション、反復、シリアリティ、間テクスト性、作者の死、アレゴリー、断片」(クリンプやクレイグ・オーウェンスの言葉)などの特徴の前面化でした。この時期の「芸術における写真」の、60年代のそれとの大きな相違は、後者では真正で客観的な社会的記録としての表象の問題が批判的されていたとすれば、70年代半ばには、消費文化の中にすでにある無意識的なイメージと化した写真の検討、その批判的流用へと実践が移行しているということです。ある種の自然性や外部性や無意識性のメディアである写真の媒介作用、言説的性格が前景化される。

 しかし、こうした経緯を見ると奇妙なことなのですが、この分裂しつづけた写真芸術/芸術写真の双方が、今ではどちらも美術の言説の中に摩擦なく共存しています。ここに欠落していったものは何なのか、それを「アーカイヴ」と「ヴァナキュラー写真」というキーワードを掲げる二つの写真論から考察し、シンポジウムのテーマに対しての私の見方を提起しておきたいと思います。

 ひとつが、アラン・セクーラのアーカイヴ論です。詳細は省きますが、「芸術における写真」、「写真における芸術」、「社会における写真」は、言うなれば三つのアーカイヴであり、その間で滞留し、流動する写真とは、複数のアーカイヴのあいだの実は不安定な力学を顕在化させる媒体となる可能性がある。この可能性が現在切り詰められている。

 もうひとつが、ジェフリー・バッチェンのヴァナキュラー写真論です。彼は、写真を単数形ではなく複数形の写真として扱うよう提案しています。彼が扱うのは芸術写真の観点から扱われることのなかったヴァナキュラー写真です。そこには、内と外、私的公的、メディア間の境界、諸感覚の間の境を踏み越えるような別種の写真の契機が強く現われる。これを手がかりに彼は、写真史そのものを複数化させる論を展開しています。写真のさらなる複数化とその相互の接続、これが彼の論点です。

 以上のように、写真を媒体にして、芸術の展開について話をしてきました。写真は自らも、そして芸術をも複数化しながら時差をおきつつ展開されてきた。それは単数形の写真を、それどころか、単数形の芸術をも複数化している。よく考えれば、写真史/写真論の展開の「展開」という語は写真用語では「現像」と訳します。写真を媒体にした芸術の変貌、それはこうした瞬時の露光から時差を置いた複数の現像の力学の中で議論することができます。展開という語に潜んでいる均質な時間的秩序、芸術的諸制度における写真の均質な囲い込み、この双方を写真というメディアは崩してくれる可能性をもっている、そう言うことができるのではないでしょうか。

(以上061124縮約版)

http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/development%20of%20photography%20theory.htm

Whole Earth Catalog Stay Hungry Stay Foolish

http://www.wholeearth.com/


◇ 全地球カタログ - Wikipedia

『全地球カタログ(ぜんちきゅうかたろぐ)』(Whole Earth Catalog)とは、アメリカ合衆国で発刊された、ヒッピー向けの雑誌[1]。WECと略される[2]。

1968年にスチュアート・ブランドによって創刊された。ヒッピー・コミューンを支えるための情報や商品が掲載されていた。創刊号の表紙を飾ったのは1966年にブランドが起こした運動が功を奏してNASAから発表された、宇宙に浮かぶ地球の写真である[3]。
1974年に、『Stay hungry,stay foolish(ずっと無謀で[4])』という言葉を裏表紙に飾って廃刊した。この言葉を、スティーブ・ジョブズスタンフォード大学の講演で学生たちに贈る言葉として紹介した[5]。

サイバネティクス :創刊号にノーバート・ウィーナーの同名書のレビューが掲載された[6]。
DIY :紹介されるツールの傾向のひとつ[7]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%82%B0


◇ Asahi News Paper Reviews 2011/7-9 -

スチュアート・ブランド『地球の論点』(英治出版

 七〇年代米西海岸文化を支えた「全地球カタログ」。大企業と政府による消費と管理の枠組みに対抗し、個人の創意と自由に基づくエコライフスタイルを提案した雑誌だ。同誌の標語「ずっと無謀で」はアップル社のジョブズ座右の銘にもなった。

 その伝説的な編集発行人が、本書の著者スチュアート・ブランドだ。その後も電子コミュニティ初期の論客として、ネット社会の議論形成に貢献した。いまの環境保護論者の多くは彼の影響下にある。

 本書はそのブランドが地球温暖化を懸念し、対策を提案した本だ。その答は、都市化促進、気候工学、遺伝子工学、そして……原子力推進だ。

 ファンたちは仰天した。いずれもかつてのブランドが全否定した技術ばかり。だが本書は「転向」の根拠を反駁しがたい詳細さで説明する。

 さらに統計学者ロンボルグが地球温暖化否定論者として(誤って)批判されるが、実は彼の支持する温暖化対策はブランドとまったく同じ。立場に依らない結論の一貫性は、利権や党派的な歪みの不在を図らずも示している。

 温暖化にもっと気長な取り組みを主張する声もある。その場合も本書の技術は、他の面で人類の将来に大きな意味を持つ。今の日本では、多くの読者は本書に反発するだろう。目下の原発事故で著者の見解も変わるかもしれない。だが脱原発を訴える人こそ本書を読んでほしい。本書でも指摘の通り、原発といっても様々だ。重要なのは長期的な可能性を理解した上での選択なのだから。

 「全地球」を看板に個人の自由とミクロな技術の意義を訴えてきたブランドが、本当の全地球問題で巨大システムと大規模科学に救いを求めるとは皮肉。だが結論に同意せずとも、その選択を直視した著者の誠実さは尊重すべきだろう。また敢えてこの時期に本書を出した版元の蛮勇にも脱帽。 (2011/07/24 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:Stay Hungry, stay foolish の訳を「ずっと無謀で」にしてみた。それにしても英治出版は、これ以外にも「パワーハングリー」を出したり、エネルギー収支考えたら原発もやっぱ検討しないとダメよ、という主張の本をそろえているようでおもしろい。あと、同社の「笑顔の国、ツバル」は、温暖化危機をあおるために扇情的な描き方をされるツバルの実情を描いた本で、恫喝エコロジストなら反温暖化本だと解釈するんじゃないかな。ところがそれを書いたのが……枝廣淳子??!! あのゴアのインチキ本 (失礼。でもそうなんだもん) の訳者? びっくり。と同時にお見それしました。)

http://cruel.org/asahireview2/asahi2review02.html#wholeearth

かわなかのぶひろ(映像作家)さんと読む『メカスの映画日記』 - 思い出す本 忘れない本 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

 ジョナス・メカスの名を初めて知ったのは、1960年代の初め浅草六区にあった小さなカレースタンドをまかされていた時分だった。映画をやりたくて松竹系の会社を受けたら、配属されたのが撮影所ならぬカレースタンドだったというわけだ。
 休憩時間になると六区突き当たり浅草東映の隣にあった書店奥の古書コーナーに日参していた。ある日、整理されないまま積み上げてある本の間からタイプ刷りの小冊子「世界映画資料」を掘り出した。「世界映画の新しい波」という特集タイトルに惹(ひ)かれたのだが、その巻頭「自由な映画を目ざして」という文章を寄せていたのがジョナス・メカスだった。
 〈「おれは本気なんだぜ!」と私はニューヨークの友人に大文字を使って書いてやった??「若い映画作家なんてアメリカにいるもんか! 我々の為(ため)に誰かがやってくれるだと。??自分でやらなきゃ駄目さ」(三木宮彦訳)〉
 日本で活字になったメカスの最初の文章だったろう。火を吹くような勢いで書かれたこの文章が、撮影所にもぐり込むことに悶々(もんもん)としていたぼくの心に、天啓のように突き刺さった。
 活字との出会いは不思議なものだ。他人にとってはなんでもない言葉でも、後の人生を左右するほどに強く共鳴することがある。いまも忘れられない瞬間だった。
 自分でやればいいのだ!と、ただちに入手した中古の8ミリで撮りはじめ、やがてメカスと同じように個人で手がける映画のシネマテーク活動を日本でも創(はじ)めるようになり、いくつかの集合・離散を繰り返しながら実験映画の総本山を自負できる「場」を築き上げることとなった。
 『メカスの映画日記』はそうした活動のバックボーンとなった書物である。初出はニューヨークの「ヴィレッジ・ヴォイス」紙に58年以来書き継がれてきたコラム「ムービー・ジャーナル」で、スターとストーリーを金科玉条とするハリウッド映画に対抗して、ぼくが初めて出会ったときの激しさそのまま、映画の本質を説き、個人で制作された映画を育み、守り抜いてきた軌跡が綴(つづ)られている。
 いわば個人で制作する映画=芸術の、実践に裏打ちされたバイブルである。74年に上梓(じょうし)され93年に改訂版を刊行、映画関係のみならず息長く読み継がれている。昨今、デジタルビデオの普及によって個人で映画制作が容易になり、しかし、その大半は商業映画の方法の踏襲である若い世代の映画制作にとって「自由な映画を目ざして」いまこそ服膺(ふくよう)されるべき一冊といえるだろう。

http://book.asahi.com/reviews/column/2014032300019.html

先見日記 Insight Diaries 2006 Jun 26 いとうせいこう - NTTデータ

 特に後者が僕には興味深かった。園芸を農業と差別化し、フーリエを引用しながらそれを「魅力的労働」と定義づける表題原稿の執筆者ピーター・ランボーン・ウィルソンは、現在唯一可能な「アヴァンギャルドavant garde」は「前衛的庭園avant garden」だとする。
 自給自足によって資本の循環に対抗し、ハーブを育てることで医療から自由になり、占拠(スクワット)した土地をガーデニングで変容させ、いまや園芸はひとつの社会的な行為となるのだ。
 まるでロマンティックなサイバーパンクSFのようだけれど、筆者はそれをきわめて実践的な社会運動の宣言として書く。そして、『VOL』ではその論旨を“園芸戦線”としてネットワーク化する形で、高祖岩三郎の「庭=運動(アヴァン・ガーデニング)以後」やビル・ワインバーグ「VIVA ロイサイダ・リブレ」といった“NYロウワー・イーストサイドの不法占拠(スクワット)&ガーデニング運動”を支持する戦闘的なエッセイを連打する。しまいにはスクワット組織「太陽の家」のリーダー、ラファエル・ブエノへのインタビューも敢行される勢いだ。

 シケた批評しか見かけないこの御時世、『VOL』は意外なところから社会を撃ってくる。しかも、アヴァン・ガーデニングという言葉で、もうひとつのNY論を構成しているあたり、一筋縄ではいかない。

http://www.nttdata.com/jp/ja/diary/diary2006/06/20060626.html