Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

一瞬、中原昌也の小説世界に入ってしまったのかと勘違い。。。

読むたびに、写真家としての生命をあえて縮めようとしてるな〜、
ネタとしてのキャラづくりなのかな〜、日本語の使い方が個性的〜、
どこまでが冗談でどこまでが本気かわかりません〜、
どこの誰がブログ見てるかわかりませんよぉ〜、それでも覚悟できてるんですか〜、
などと思ってしまって、他人事ながら手に汗握るスリル満点の(失礼ごめんなさい)
山下隆博さんの「総合的学習の練習」(8月14日付け)を読んでの感想。


2007-08-14 これ書いて啓発できればいいのだが

正直、写真をしなければいけないと、そう頭の中では常々考えているし、やるべき事も解かっているつもりだ。しかし、どうしても出来ない。スランプとか何だかちょっとカッコいいヤツではなくて、上手くいかないとかって訳じゃなくて正直やろうと思えば出来る自信は物凄くあって、でも何だかやる気になら無いって言うか、酒だけ飲んで生きて行けたら物凄く楽でいいよなーって前から思っている事を今正に実践しているような感じ。ナンだけれども、そんな事ばかりしていたら自分で自分が許せなくなってきて、無理やり携帯電話のスケジュールに暗室!とかって書いてみたりするんだけれども、実際俺するのか?って部分も否めない。で、今日は頑張ってインドの写真をスキャニングした。してみるとやっぱり色々考えて、こうやって誰かに頼めばどうにでもなる暗室作業とかなんとかも、決行重要なんだなあと改めて思ったり出来たから今日は酒を飲みたいけれでこれからまた仕事で朝からまた仕事で24時間後でなければ飲酒できないという絶望は耐え難いものだと、そう感じずにはいられない。

http://d.hatena.ne.jp/YaMaCtA/20070814


やっぱ、この日の[日誌的発言]は、なんだか中原昌也さんの小説を
ビミョ〜にカットアップ&リミックスしたり、しなかったりしたようなテイストが、
なんともはやイイ感じのフレーバーを漂わせていて、本当にナイスですね〜。
いやいや、正味なハナシ。
明日の新しいブンガクはブログから! ですな。レッツ、ブンガクだJ!(←超短絡)
(っていうか、永江朗さんの『新・批評の事情』に、写真評論の人ではなく、
カメラの機材レビュアーの人しか出てこなかったのがちょっと残念だったな、と)


つか、筆すべりまくりです。あいかわらずのジャンク・テクスト自動書記状態。反省。
ところで、考えてみたら、いわゆる写真家(?)や予備軍(?)の人のブログって、
山下隆博さんの日記ほど楽しめないのが難点ですが、
どちらかというと、山下さんと同じような傾向、というか方向性のものが多いですね。いったい、なんなんでしょう。
ちょっと変な熱が籠もってるというか。。。それって、もしかして恋? はたまた新手の熱病? みたいな。いや違うか。
そういう人々のストレンジな熱にあてられながらも、気を取り直して冷静にブログの内容や記述を検討してみると、
正直言ってポエムの人(そういえば、ポエマーなんていう英語はあるんでしょうか?)や
「おアーティスト」の人も多いですね。百貨店展示場即売系美術の趣味の良さ(悪さ)というか。*1
*2


わかってらっしゃる写真家や写真関係者のうち、そういった層の人々を食い物にすることなく凌いでいる方々*3が、
よく指摘するように、いわゆる大日本写真村に特有の悪しきアマチュアリズムの伝統が、
遠からずそうした文化風土を延命させてしまっている原因になっているのかもしれません。

*1:「この治癒し難き宿痾は、清水穣がかなり小馬鹿にしながら
  徹底的に批判している「現代陶芸」という狭い表現分野だけに、
  蔓延しているものではないでしょう。」
  http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060205

*2:いちおう→→→http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060429#p4

*3:逆に最悪なのが、私が知る限り少なからぬ方から早々に逝去されることを期待されている某TE(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060907#p4)や、
  阿佐田哲也の小説じゃないですが、ドサ健式の流儀で写真教室を開いてカモを大量育成し続けているカメラマン(写真家?)です。
  (後者は、寺子屋師匠1号、2号、3号……と呼んであげましょう。もちろんその弟子は、寺子屋くん1号、2号、3号……です。)
  寺子屋くんたちは、そのマルチまがいの構造に気付くことができないと、マズいですよ〜。
  そうした写真寺子屋界隈のカーストに永遠に縛り付けられたままになってしまいますよ〜。
  まあ、そういった環境のほうが、ぬくぬくと心地よいのかもしれませんし、
  あわよくば衣鉢を継いで、次代の寺子屋師匠に成り上がれるのかもしれませんが。