Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

リプライ ※コメントが伸びてたのにスルーしてました。(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071009#p9)

オオタカさんの「話がそれますが。」以降の話題については、どうなんでしょう。率直に申し上げますと、どちらかといえば、学生さんとかフォトブロガー(Web写真家?)みたいな意見だという印象を持ちました。いろんな局面のいろんなレベルの話が混在してますし。■まず、伊藤篤宏さんのコメントの件ですが、その世界の経済がどういうふうに回っているのか? という視点なしに、音楽と美術を比較することがナンセンスだと思いました。トークショーならではの話の流れと勢いで、十年一日のありきたりな意見に落ち着いたというのが実際のところではないでしょうか。その場で、なんとなく頷き会えて、なんとなくガス抜きになったような気になるような落としどころです。それに、例に挙げられているような事柄は、美術の世界でも、ごく普通に実践されているでしょう。■また、メリットがないとかかわれない、コミットに応じて対価がないとやってられない、というふうな態度は、虫がよすぎるのではないでしょうか。現状のシステムが良くないとすれば、それはマイナスの状態です。マイナスをプラスマイナスゼロに、そしてプラスの状態にまで引き上げるには、それ相応のコストが必要です。そのコストをどこから調達するんでしょうか? 理想的なシステムもコストを賄うための費用も空から降ってはきません。そう考えてみれば、当面は持ち出しを覚悟してでも(金がないなら知恵を、知恵がないなら汗を出すしかありません)、各人がそれぞれのリソースに応じてできることから手を付けていくしかないでしょう。私たちが生きている間には、なかなか理想的な状態は実現しないと思いますが、だからといって(自分たちが利益を享受できないからといって)何もしないのではなく、次の世代に託すぐらいのつもりで地ならしを続けるしかないのだと思います。■高度成長期から80年代にかけての時期が職業写真家にとって美味しかったのは、単にバブルだったってことではないでしょうか。やたらとロマンチックな言説が流布していたりもしますが、私は、職業写真家=作家が成立した時代なんてのは、歴史的発展の一段階に過ぎないと思っています。たぶん時代が下れば、そんな時期も一瞬あったらしいね、程度のことになるでしょう。日本においても写真が「美術」として受け入れられるようになったことと、職業写真家兼作家が成立しづらくなったこととは、それほど関係ない話だと思います(余談ですが、そもそも明治初期には写真術は美術に分類されていたようです)。コマーシャルワーク(ジョブ)の世界の経済(撮影料、原稿料等)と、美術の世界の経済(作品の売買、ドネーション、コミッション等)はまったく別物ですが、もちろんごくごく限られた一握りの写真家が(荒木経惟さんは幸福でした)、両方の世界で活躍する可能性はあると思います(鈴木心くんに期待)。コマーシャルワーク(ジョブ)を副次的な収入(制作一本で食えない作家のアルバイト、糧道)と位置づけて作家活動を続ける人は、相変わらず後を絶たないでしょう。■ホワイトキューブ批判、美術館はモルグだ、みたいなことって、いつごろから叫ばれてるんでしょうか。60年代くらいからでしょうか? 死蔵関連の話も含め、オオタカさんの言いたいことをいまひとつ忖度しかねますし、あまり意味もなさそうなのでとりあえずスキップします。■接触機会の増大は重要ですが、文化的な民度がある程度高まってこないと、短期的には逆効果になる場合もあると思います。ですが、写真・美術の情報を求めている人に、ちゃんと情報が行き渡っていないのだとしたら、これはやはり問題なので、何らかのアクションを取っていかないといけないと思います。ちなみにTAB(東京アートビート - Tokyo Art Beat)はNPOが運営しています。「売れて広告が入る写真専門誌」ですが、これは無理です(笑)。実際にどういった媒体を想像されているのでしょうか? 『ARTFORUM』と『美術手帖』の広告を比較してみれば、それがどれだけ遠い道なのか、おわかりになると思います。■あと、「× 領布」「○ 頒布」です。』
http://d.hatena.ne.jp/n-291/comment?date=20071006#c