1970年代、写真家たち自らの手によって、ギャラリー、スペース、あるいは雑誌といった、様々な自主メディアが生み出されていった。彼らがそこで試みた多くの写真論、写真表現法、製作態度など、その作品と思考の軌跡は、写真とは何であるのか、写真家とはどのような存在であるのかを示した。本書は、これまで明らかにされることのなかった、これらの活動の概要と、当時の資料を収録し、空白のまま残されてきた1970年代の日本写真の姿を伝えるものである。
東京書籍/1989年9月刊
A5判変型/上製本/帯付/白黒/207ページ/ISBNコード4-487-75226-4
売価5,000円(税込、本体、良好)
http://blog.livedoor.jp/sokyusha/archives/51157448.html(蒼穹舎/書肆蒼穹舎)
http://www.amazon.co.jp/dp/4487752264
以下、同書より。
「PUT」「プリズム」「CAMP」の差異は、「PUT」のこの各地への拡散と、交流という動きによって、よりはっきりしていった。「プリズム」は、写真のテーマを、つまり作品としてのテーマを広げていったし、その様な写真家がかかわりを持ち、写真評論の新たなる広がりをも生んだ。「CAMP」は、その一面だけではあるが、創作と作家の生き様をトータルに見せようとする写真家の出現を見せた。そして「PUT」は、クモの子が散るように、あるいは種がまかれるようにして散っていった。つまり、彼らはメディアについて新しい展開を試み、そして、それはコミュニケーション論として幾つにも分岐していったと考えられる。「プリズム」のメンバーであった平木収をして、田口芳正に向かって「PUT」はオプチミステック(楽天的)で、CAMPは生き様フォトだ(1979年ごろの話)」と言わしめたのも、あるいは当然であったといえよう。
この様な視野を、当時はなかなか得られるものではなかった。当事者たちでさえ、事態の推移は手さぐり状態であったし、全てが流動的であると感じられている時代でもあったからである。それには社会的危機もともなっていた。だからこそ、やみくもなまでに多くのことが成しえたともいえよう。
この“ひも付きではない”ということは、彼らを表現上の制約から自由にしてはいたが、経済上での行きづまりをも約束していた。経営上の赤字を誰が補てんするのかという問題は、ときとして写真の問題よりは重要な問題であったにちがいない。
(広く開かれていた“場” PUT 1976─79 [P94-95]より)
《写真》を考えてゆくための《資料》を提出することと同時に、インパクトは小さいかもしれないが自分たちの写真も提出しなくてはならないのではないかという意識によって5号で島尾伸三の「フロイトシーン1/3」、7号で築地仁の「海光」が刊行された。これは「カメラワークス」自体の動きが、翻訳と注解という手間のかかる作業のなかで、なかなか加速されてゆかないという危惧があったことにもよっているといわざるをえない。しかしこの小写真集をつくったことは新しい展開をもたらすこととなった。それは自分たちに続く世代の写真家たちの写真を形にすることによって、“啓蒙”ということをよりアクチュアルな行為へと変換することを可能にしたからだ。そこで刊行されたのが畠山直哉「等高線」(9号)と小林のりお「ラストホーム」(10号)であった。この直前には、コトー駿河台901号室を2カ月間ギャラリーとして改装し行った写真展シリーズ「CAMERA WORKS EXHIBITION」がある。
(新たなる“場”の設定 カメラワークス 1978─84 [P164-165]より)