私が一番驚いたのは、『行人』にどっぷり浸っている間、<今DSで読んでいる>ということを完全に忘れているという事実だった。書物を夢中で読んでいるとき、<今、製本された紙の束を読んでいる>などとは意識しないように。読書用端末に本当に必要なのはただそれだけだったのではないか。
欠点をあげることは容易だが、肝心な<存在の透明化>さえ実現されたなら、あとは誰かの技術が誰かの要望を叶えるだろう。DSが読書端末の標準機になるかどうかは不明だが、初めて読むプルーストがメモリーカードであるような<未来>が<今>になってしまった。書物のiPod化? もちろん私たちが紙の書物への愛着を失うことはないだろう。実際、私の手元には繰り返し読み、背が割れて表紙がちぎれてしまった本がある。書物としては崩壊したがゆえに、私はこれを手放すことはないだろう。だが今は、液晶画面に書物の魂が宿りうる可能性に驚いていたい。
http://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/tokyoeditor/yano/bn/yano_003/
>>>DS文学全集
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071021#p2