Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

備忘録・シャシン(20-05-2006) - konkretのアートダイアリー

一方、野口里佳は面白いものを面白く撮る。面白くないものでも面白く撮る。本当は小柳は一応野口やっているとHPにはあったが常設展ということだったので行くのやめようかなあと思っていたけど、行ってよかった。新作じゃないから特に新しい発見ということはなかったけど(それは今回久々ギャラリーで見たホンマタカシにあった。)、幸せな気分になった。佐内正史も95年の写真集「生きている」の頃の未発表写真を自ら選び展示していた(今後、このサナイ自身のセレクションをシリーズとしてnichidoでやってくらしい)。その少し後に、自分も写真を撮っていた時期があったから、その時代にこういう対象をこういうふうに撮りたい、こういう色目にしたいという気持ちがすごいわかる感じで、懐かしかった。さらにどうでもいいこと書けば、この曲聴くとあの頃思い出すわ的な感じでもある。こうした日本の写真家の写真が私にとってはJ-Pop(←それは聴かぬ身の上なれば)。ホンマタカシしかり、野口里佳しかり。


そういう気分がそうさせたのか、家に帰って明け方、岡崎京子の「リバーズエッジ」を数年ぶりに読んだ。リアルタイムではなく、ホンマや佐内が盛り上がっていた頃、98年頃単行本買って何度も何度も読んだマンガだけど(夜、多摩川の河原でリバーズエッジごっこもしたし)、ここ数年は手にとることもなかった。前にユリイカ岡崎京子の特集やっていたとき、リバーズエッジは岡崎にしては少し情緒的すぎるということを誰か書いていたけど(気になって調べたら宮台が「痛みがベタにかかれている」からあまり好きじゃない、て書いてた。情緒的という理解は方法論的には違うのだが受容の側からは同じだ、ということで)、そのときは「そっかなあ、そういう気しないけど」と思っていた。しかし、今回は胸が痛んだ。涙すら出た。情緒情緒。これはJ-Popで懐かし悲しく(あのときにはこの歌詞の意味がわかってなかった、とか)なる気分と同じではなかろうか。そして、今日見た3人の昔の写真では(ギャラリーに置いてある写真集のページめくったとき)それに似たことが起きた。森山大道アラーキーの写真ではそれはないのに。そこがJ-Popと重ね合わせるモメント。だから単なる流行とか良くないとか言うつもりはなく(少しあるのかもしれないが)、いつのまにかそういうことになっている写真があって、森山やアラーキーの写真にはあるゲイジュツとして残る可能性、が、これらにないとしても、別の何かとして生き長らえるのではないか、など思った(いや、まだ写真家としては若い彼/彼女らだった。まだまだ何もわからない)。

http://d.hatena.ne.jp/konkret/20060521


>>>ホンマタカシ 「東京」@GALLERY 360°
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080520#p3


>>>J写真、Jシャシン、Jフォトグラフィ、J…………
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061002#p7