■REC FOR FUN :)
■佐々木正人 編『包まれるヒト 〈環境〉の存在論』(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070715#p8)が部屋の中から出てきたので、ホンマタカシ『たのしい写真 よい子のための写真教室』に収録された対談のどこがどのように変更されているか比較してみたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090613#p9
「そのあと初めて佐々木さんにお会いしたときに、「ギブソンの言う人間の実際の視覚と写真とは全く関係ないよ」と言われ、あらためてギブソンをきちんと読み直す中で、現実の視覚と写真はまったく別物であるということを大前提として理解したんです。」
『包まれるヒト〜』よりホンマタカシさんの発言
「でもその後、佐々木さんに、「人間の視覚と写真とは全く関係ないよ」と言われ、あらためてギブソンを読み直す中で、両者が別物であるということを、当たり前ですが理解したんです。」
『たのしい写真〜』より同一箇所
ジェームズ・ジェローム・ギブソンの言う「人間の実際の視覚」が、
ただの「人間の視覚」に変更され、さらなる一般化が行われています。
『たのしい写真 よい子のための写真教室』という本を貫く
「写真≠真実」という論旨を強化するための改変だと思われます。
ちなみに「photograph」→「写真」という訳語の妥当性などについての議論は、
もちろんすでに多くの方がご存知でしょうが、とくに新しいトピックではありません。
(ex.)http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100408#p17
「ええ。小さいライカというカメラが発明されて一般化したときに、それを使って自分から主体的に物事を探して、ハンターのように決定的瞬間を切りとる、という……。写真の歴史で言うと、その前に絵画そっくりに撮っていた時代があるんですが、ブレッソンの『決定的瞬間』で、はじめて写真というものは確立されたということになっています。」
『包まれるヒト〜』よりホンマタカシさんの発言
「ライカという小さなカメラが発明されて一般化したときに、それを使って自分から主体的に物事を探して、ハンターのように決定的瞬間を切りとる。写真の歴史で言うと、その前に絵画そっくりに撮っていた時代があるんですが、カルティエ=ブレッソンの『決定的瞬間』で、初めて写真というものが独自の芸術として確立された、ということになっています。」
『たのしい写真〜』より同一箇所
写真史的にみて、アンリ・カルティエ=ブレッソンの『Images à la Sauvette』(The Decisive Moment 1952年)で、
「初めて写真というものが独自の芸術として確立」したかどうかは、意見が分かれるところだと思います。
アルベルト・レンガー=パッチュ(Albert Renger-Patzsc)の『Die Welt ist Schön』と、
カール・ブロスフェルト(Karl Blossfeldt)の『Urformen der Kunst』は1928年。
また、アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)が「The Steerage」を撮影したのが1907年、
その後「Little Galleries of the Photo-Secession」の名称を「291」に改めたのが1908年。
「そうですよね。その後、八〇年代に別の大きい一派が出てきます、それがニューカラーという流れなのですけれども。八一年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)で、当時出てきた一群の写真家をまとめた展覧会がありました。この本がその時のカタログ、“The New Color”です。」
『包まれるヒト〜』よりホンマタカシさんの発言
「その後、70年代に別の大きい一派が出てきます、それがニューカラーという流れなんですが、「そもそも決定的瞬間なんかないよ」という姿勢においてギブソンの考えと共通しています。」
『たのしい写真〜』より同一箇所
「八〇年代」を「70年代」と改めているのは、その認識が誤っていたからです。
さらに、MoMAの話をまるまるカットしているのは、
1981年にMoMAで「The New Color」という展覧会は開催されたという事実はないからです。
私が調べたかぎりでは、1981年に「The New Color」という展覧会が開催されたのは、
Everson Museum of Art(エバーソン美術館)とInternational Center of Photography(ICP [国際写真センター])です。
そして調べていて浮かび上がってきたのは、いわゆる「ニューカラー」というくくり(用語)は、
欧米の写真家にとってはアンポピュラーであり(サリー・オークレアがそんなことを言ってたなという程度)、
さして実効性のない概念なのではないか、ということです。
「ニューカラー」「ニュー・カラー」と有り難がっているのは、
日本国内だけなんじゃないかという疑問がわき起こってきます。
「それはやっぱり、まさしくギブソンが言うところの、世界をどう見るかということに意識的な人たちがはじめて出てきたんだと思います。」
『包まれるヒト〜』よりホンマタカシさんの発言
「それはやっぱり、まさしくギブソンが言うところの、写真やカメラを使って世界をどう見るかということに意識的な人たちが初めて出てきたんだと思います。」
『たのしい写真〜』より同一箇所
「ニューカラー」の写真家についてのホンマタカシさんのコメント。
しかし、はたして「写真やカメラを使って世界をどう見るか」は、J.J. ギブソンの「言うところ」なんでしょうか?
「眼を開いて受身でいればどんどん来る。」
『包まれるヒト〜』より佐々木正人さんの発言
「こちらもニューカラー的な構えで撮ったのですか。」
『たのしい写真〜』より同一箇所
ホンマタカシさんがハワイで撮影した波の写真(写真集『New Waves』所収)についての佐々木正人さんの発言ですが、
まったく別のコメントに差し替えられてます。
「そうですね。もちろん一個一個の写真がドラマティックだったり、上手だったり下手だったりするのですけれども、でもやっぱり全体の総体で見せるというのが。」
『包まれるヒト〜』よりホンマタカシさんの発言
「もちろん一個一個の写真がドラマティックだったり、上手だったりするのですけれども、でもやっぱり全体、総体で見せるというのが特徴的です。」
『たのしい写真〜』より同一箇所
ヴォルフガング・ティルマンスの写真についてのホンマタカシさんのコメント。
「下手」がカットされているのは配慮でしょうか。
「ニューカラーに移動が入ったというところですかね。撮るということだけが続いていて、あとは移動しているだけだ。ちょっとついていけない感じもしますね(笑)。でも面白い。」
『包まれるヒト〜』より佐々木正人さんの発言
「ニューカラーに移動が入ったというところですかね。撮るということだけが続いていて、あとは移動しているだけ。」
『たのしい写真〜』より同一箇所
ヴォルフガング・ティルマンスの写真についての佐々木正人さんのコメント。
「ちょっとついていけない感じもしますね(笑)。でも面白い。」が削除されてます。
「決定的瞬間とニューカラーを二つの山ととらえる見方は、ふつうの写真史とはちょっと違いますが、ギブソンの著作に触れてから、ぼくにはそう見えてきました。たとえばニューカラーについても、従来の説明は単に「カラー写真に意識的な人たちが出てきた」みたいな言い方なんですよね。」(ホンマ)
「そうか、ホンマさんの見つけた大きな「転換」は、写真の世界ではまだ自覚されてないのですね。」(佐々木)
『包まれるヒト〜』よりホンマタカシさんと佐々木正人さんの発言
「決定的瞬間とニューカラーをふたつの山ととらえる見方は、ふつうの写真史とはちょっと違うと思います。でもギブソンのアフォーダンスの考え方に触れてから、ボクも自分なりの見取り図がはっきりと見えるようになりました。」(ホンマ)
「その背後に、主体/撮る側から、客体/撮られる側へ、という大きな「転換」があるということですね。」(佐々木)
『たのしい写真〜』より同一箇所
対談の結びの部分。
ここもまた、佐々木正人さんの言葉がまるまる差し替えられています。
『たのしい写真 よい子のための写真教室』という本の中で、
この対談を最も効果的に機能させるために最後のコメントを変更し、
しかもホンマタカシさん本人の言葉ではなく
生態心理学の専門家で東京大学教授の佐々木正人さんの言葉で締めるあたり、
非常に良くできた記事になっていると思いました。
なお、上記引用部分のほかにも、細かい改変異同箇所はたくさんあります。
(例えば、ホンマタカシさんが中平卓馬さんを撮影したドキュメンタリー映画『きわめてよいふうけい』についての佐々木正人さんの発言の削除など)
>>>発売が遅れたようですが昨日書店に並んでいました→ホンマタカシ『たのしい写真 よい子のための写真教室』
◇ ホンマタカシ「Seeing itself」 - 今日の平凡社
ところでホンマさんの単行本『よゐこのための写真教室』(仮)は、
4月初旬刊行の予定で、鋭意&必死&大盛り上がりで編集中です。
デザインは服部一成さん。http://heibonshatoday.blogspot.com/2009/02/seeing-itself.html
それはそうと、“佐内正史さんの「対照」レーベルもそうですが、/写真家のセルフパブリッシング(自費出版ですね)が増えてきたのか。”
という編集の方の認識に驚かされます。仕方がないのかもしれませんが。。。
>>>『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976‐83』金子隆一・島尾伸三・永井宏 編
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080308#p5
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◇ ホンマタカシ『たのしい写真 よい子のための写真教室』 - 今日の平凡社
http://heibonshatoday.blogspot.com/2009/05/blog-post_9421.html
平凡社のブログに列挙されている日本人の写真家の著作(しかもまだまだ抜けているものが多い)よりも、
どちらかというと、スティーブン・ショアー『The Nature of Photographs』(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070515#p4)や
ジョン・シャーカフスキー『The Photographer's Eye』(http://www.amazon.com/Photographers-Eye-John-Szarkowski/dp/087070527X http://www.artphoto-site.com/b_469.html http://www.photokaboom.com/photography/pdfs/John_Szarkowski.pdf)に近い内容になっていると思います。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090526#p3
『The Nature of Photographs』や『The Photographer's Eye』に近い内容、というのは高く見積もりすぎでした。
しかし、飯沢耕太郎さんなんかの本を読む時間があるのなら、ホンマタカシさんのこの本を読むことをおすすめします。
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>>>清水穣『白と黒で──写真と……』(現代思潮新社)より その2
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080522#p2
>>>「今日の写真2009 第5回 写真が建築において果たす役割の大きさ」より
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090806#p2
※過去のホンマタカシさん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%a5%db%a5%f3%a5%de%a5%bf%a5%ab%a5%b7
※過去の 寅 彦 関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%C6%D2%C9%A7