Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080328#p6)

■未だ積読状態
InterCommunication 2008年spring 音楽/メディア ポストCD時代のMAKING MUSIC
http://www.nttpub.co.jp/ic/ic002.php?id=48


Amazon.co.jp: Inter Communication (インターコミュニケーション) 2008年 04月号 [雑誌] 本 - トラカレ!

今季の『InterCommunication』のテーマは「音楽/メディア ポストCD時代のMAKING MUSIC」とのこと。渋谷慶一郎さんと佐々木敦さんの対談、“ゼロ年代の「音響」と「音楽」をめぐって”、高橋悠治さんと渡辺裕さんの対談“世界音楽と反システム音楽”のほか、津田大介さん、鈴木謙介さん、増田聡さん、ばるぼらさんらが寄稿をしている。

http://torakare.com/archives/799


茂木健一郎の"文学性” - Liber Studiorum

InterCommunication」No.64。佐々木敦渋谷慶一郎の対談。

佐々木−(略)ちょっと話は逸れるけれど、さっき名前が出てきた茂木健一郎氏の最近の言説には、僕は納得がゆかないんです。彼のロジックは「ずいぶんと脳科学が進化した結果、いろいろなことがわかるようになりました。脳の動きも、こういうメカニズムやブログラミングで動いていることが”かなり”わかってきました」というものですが ところがその先に「クオリアというものが立ちはだかる」という話になっている。クオリアは難問というより擬似問題だと供は思っている。クオリアの正体や機能まで完全に明らかにしてくれるのなら、話はわかる。でも、そこのところは結局エニグマ(謎)になってしまっている。それによって一気にすべてが神秘主義化していると思うわけです。つまり、「人類の科学はこんなに進歩した」という言説と「その科学にもわからないことが人類にはある」という言説が挟み撃ちになって 一種の人類賛歌みたいになる。まあ、だからこそ茂木氏は人気があるんだと思うけれど、僕にとっては、それは最悪の意味での文学性でしかない。例えば旧来の作曲においては、作曲家の頭の中でイマジナティヴに生起している音の響きなり並びがあって、それをいかにして外側に出して他者にもオーディブルなものにするかということが、音楽の営みだった。いくら頭の中で鳴っていたって、頭の中にあるかぎりは、他者には絶対に聞こえない以上、それは存在していないのと同じだから、それを存在させるためにこそ、いろいろなことが生みだされてくるという経緯があった。それをすごくラディカルに示したのが、電子音楽だったのだと思う。電子音楽は、もともと頭の中になかった音さえも作ってしまう。機械によってアクシデンタルに発された音があって、それを聴いてしまい その音が頭の中にインストールされて、その反射で音楽を作る、みたいなことが起こりうるし、現実に起こってきた。それがそれ以前とはまったく違う、電子音楽以後の作曲であって、そこでは人間性はひとたび切断されているし、そこにこそ可能性の中心があったのだと思う。ところがそれでもなかなか「人間」というものは消えてくれない。だって何だかんだ言ってもわれわれは人間だからな。だから最終的には「人間の想像力には解析できないものがある」というのは事実かもしれないけれど、そこを出発点にして考えるのは、僕は嫌なんだよな。だったらいっそ「人間の脳ってコンピュータとまったく同じです」みたいなことを証明してくれたほうがいい。茂木氏はダニエル・デネットを批判しているけれど、その論議としての当否はともかく、僕には「人間」を掬い取るような考え方よりも、そこをこそ徹底的に解析し批判しようとするほうがリアリティがある。

渋谷−大文字の美というものがあってその創造性の秘密はわからない、だから「こんなにわからないことがあるなんて、世界ってスゴイよね」みたいな話は作る側にとってはあまり意味がないですよね 当然。で、それだけならまだしも、そういう大文字の美に平伏しないのは間違っている、みたいになるとちょっとまずいんじゃないかと思いますね。実際、茂木さんのその傾向は2005年にATAKA@ICCでやった高橋悠治さんとの対談のあとから加速したと思うのですが、最近もワタリウムの「南方熊楠」展で池上さんと対談していて、そのときは完全に神秘主義だったので僕は途中で退出して 地下のオン・サンデーズに寄って中平卓馬の写真集を何気なく見たらその真摯さというかコントラストにうたれて帰ってきたという、嘘のような本当の話があるのですが(実)、つまり現在何が可能なのか、何を選択するのかということを徹底的に突き詰めることが重要で、わからないことがあるのがすごいなんて言ってる暇はないわけですね。だから届かないものをありがたがっていても何も作れないし、それは謙虚さとかとは別の次元てしよう。僕はこの数年、けっこういろいろなことをやってきたけれど、すごく大雑把に言って、自分が生きているうちに結果が出ないことにはタッチする時間はないなという実感があります。脳科学、特に創造性とクオリアの問題などはその辺をクリアにしてから話したほうがいいのではないかと思うのですが。

佐々木―自分が生きているあいだだけのこと、というのは、人生論的にも(笑)まったく共感じますが それはともかく、僕にだっておそらく、いわゆる「神秘」というものはあるんだろうと思うけれど 神秘主義は嫌なんですよ。素朴な話、例えば「言葉にできない感動」というような妄言を、人は割に簡単に受け入れてしまう傾向がある。それは思考停止の別名でしかない。そういうものはクリアカットしたい。(略)


 茂木に対して「神秘主義」という言葉が適切かどうかはちょっと疑問に思うのだが、内容については概ね同意。とくに、茂木の言説がその”文学性”ゆえに人気がある、という分析には、諸手をあげて賛成。茂木のそういう傾向が最近になって加速した、という指摘に関しては、茂木ってもともとそういう人でしょ、という感じ。世間で持て囃されて無防備になって”地金”が出てきたのだと思う。

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