Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

テクノロジーは幸福をもたらすか(Tony Long 2005年12月06日)- WIRED VISION

 テクノロジーによって従来の10倍速く仕事ができるからといって、そうすべきだということにはならない。身体はそのストレスに――一時的に――耐えられるかもしれないが、精神は商業主義社会の回し車のなかでじたばたと走り続けるようにはできていない。こんな話をすると、企業側の人間には嫌われそうだ。あなたから吸いとれば吸いとるほど、経費は下がり利幅は大きくなるのだから。なんといっても、利益こそ神だ(しかたがない、ひざまずきなさい)。
 しかし、企業にとっては善でも、あなたにとって善だとは限らない――たとえどれだけ不浄の金があなたの行く手にもたらされたとしても。

 芸術家や思想家の犠牲のもとに商人が大きな勢力を持ったとき、文明は間違いなく急激に衰退した。このとき、「自由、平等、友愛」というフランス革命の標語は、「自分の分はとったぞ、あとは知ったことか」に道を譲った(こんな姿勢は、18世紀の啓蒙思想家、ボルテールの時代にさえすでに存在していた。そのあげくが、貴族階級の不幸な末路なのだ)。大局的に見ると、今は亡き思想家たち――ジャン=ジャック・ルソー、H・D・ソロー、ジェームズ・ミル――は、米マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏、米アップルコンピュータ社のスティーブ・ジョブズ氏、米オラクル社のラリー・エリソン氏といった今を生きる経営者たちよりずっと、人々の幸福を考えていた。

 だが、株式市場中心の資本主義が今日の法定貨幣になり、これを大量消費主義が支え、テクノロジーが大いなる担い手になっている。テクノロジーは仕事を楽にするのだから恩恵をもたらしてくれると、あなたは思うだろうか? たわごとだ。テクノロジーがもたらす安楽というのは幻想にすぎない。あなたはテクノロジーの罠にはまっている。テクノロジーのせいで、以前は必要ですらなかったものに支配され、いつの間にかそれなしでは生きられなくなってしまっている。そういったものを手に入れる金を稼ごうとして、あなたは狭い仕切りのなかで朽ちてゆく――本来なら、緑の野を散策したり、愛しい人を口説いたり、歌を作ったりすべきはずの時間に。

 夢想家のたわごとだと、冷笑するだろうか。そうして、あなたはこつこつ働いて、命をすり減らしながら、蓄えてゆく……何を?

 周りを見よう。社会から人間性が毎日少しずつ失われている。街なか――公共の場、と言い換えてもいい――での人の営みが、テクノロジーによって消されてゆく。チャットルーム、電子メール、インスタント・メッセージ(IM)といったものはどれも、技術的には、コミュニケーションの一種だ。しかし、これらのコミュニケーション技術が、隣人どうしのおしゃべり、バーでの雑談、友人とのちょっとした散歩などに取って代わるならば――こうした事態は「先進的な」社会に属する人々の間でますます広まっている――、人間どうしの有意義な触れ合いは失われてしまう。簡便さでは埋め合わせがきかない。

http://wiredvision.jp/archives/200512/2005120607.html
ひさしぶりに再読。