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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

批評理論と社会理論〈1〉アイステーシス (叢書・アレテイア)に寄稿しました。 - 昆虫亀

第5章「作品の倫理性が芸術的価値にもたらす影響――不完全な倫理主義を目指して」を執筆してます*1。

分析美学の枠組をつかいながら、芸術作品の倫理性とそれが作品の価値に与える影響について考えよう、という論文です。

具体的にはBerys Gautの理論を検討しつつ、倫理主義の立場を全面的に引き受けるのは問題があるんじゃないか、という主張をしてます。


序文のとこだけ引用しときますね。


 三人の映画好きが、マフィア映画の傑作『ゴッドファーザー』について、こう話している。
晴郎「この映画の見所は、なんといってもボスの冷酷非情な振る舞いだ。とりわけ、あの残酷な殺戮シーンは、素晴らしい。」
長治「何言ってるんだ。この作品が傑作たりえたのは、真の家族愛を描いているからだよ。」
重彦「いや、残虐性とか愛とか、作品の評価に関係ないんじゃないかな。絶妙な音楽とカメラワークがこの映画を傑作にしているんだよ。」
 このありふれた映画談義のうちに現れているのは、〈芸術作品のうちにある倫理的な要素は、作品の価値にどう関わるのか〉という、美学における伝統的な問いである。作品の倫理性は、そもそも芸術的価値に関係するのだろうか? 関係するとしたら、善を描くことで作品の価値は向上するのだろうか? 不道徳な行為の賛美によって作品の価値が向上するなどということは、はたしてありうるのだろうか?
 近年、英語圏の美学者たちの間で、こうした問題がふたたび注目を集めている。本論では、この近年の議論を紹介しつつ、現在の論争状況を整理し、各立場間の争点を明示したい。本論は、とりわけベリス・ゴートの2007年の著作、Art, Emotion and Ethicsの検討を中心に議論を進める。ゴートは、この著作において倫理主義(ethicism)を提唱し、〈作品の倫理的価値が芸術的価値に影響する(レレバント)ことはありうるし、影響するときには倫理的長所(RE+)は必ず芸術的価値を向上させ(A+)、倫理的欠陥(RE-)は必ず芸術的価値を低下させる(A-)〉と主張している 。この立場によれば、家族愛のような倫理的に善いことを称揚する作品は、その点において芸術的価値を高めることになる。この倫理主義の主張を検討し、その問題点を明らかにすることが本論のひとつの目標である。
 まず第一節では、倫理主義の位置づけを、自律主義(autonomism)、反理論主義 (anti-theoretical view)と対比させつつ簡単に確認する。つぎに第二節では、ゴートが倫理主義を反論から擁護するために用いている論法を確認しつつ、倫理主義の主張をより明確に示す。第三節、第四節では、それぞれ作品の倫理的な悪さ、善さが芸術的価値に与える影響を、不道徳作品、説教臭い作品の検討を通じて明らかにする。最終的に本論が目指すのは〈倫理的に悪いことが作品の価値を高めることはありえないが、倫理的に善いことが作品の価値を低めることがありうる〉という不完全な倫理主義(half-way ethicism)である。

最後に、この本全体の目次を貼っておきます。宣伝です、はい*2。

『批評理論と社会理論〈1〉アイステーシス』 (叢書・アレテイア)
第1章 「作品」と「所有」
 仲正昌樹
作品=営み
所有と交換の論理
知的所有権オートポイエーシス
第2章 芸術における「解放」とは何か――ジャック・ランシエールの美学理論における芸術と政治
 田中 均
ランシエールを参照するクレア・ビショップ:芸術批評の倫理的展開への批判
「芸術の美学的体制」における「メタ政治」と「原政治」の矛盾
「政治的芸術」の批判と「観客の仕事」
「解放された観客」の「知的冒険」
第3章 形姿(ゲシュタルト)と〈芸術‐政治共同体〉
 石田圭子
形姿概念の歴史
形姿−芸術−政治共同体〜ホフマンスタールからローゼンベルクへ〜
20世紀の形姿の性格
第4章 さまよえるオブジェ――非西洋の器物に対する「芸術」としての資格とその言説
 柳沢史明
歴史的コンテクストと権力関係
「アートワールド」の構成要員
被支配の側から表象と言説の流用
表象の流用に生じる諸問題
第5章 作品の倫理性が芸術的価値にもたらす影響――不完全な倫理主義を目指して
 森 功次
論争の焦点と、倫理主義の位置:倫理主義、自律主義、反理論主義
ゴートの倫理主義
倫理的欠陥が与える影響:不道徳作品の価値とは?
倫理的長所が与える影響:説教臭い作品
正の方向における、美と倫理との乖離
第6章 自己表現と“癒し”―“臨生”芸術への試論
 荒井裕樹
はじめに……〈臨生〉の試み
実月の歩み……「表現することは許されること」
実月の言葉……共感可能/解釈不可能
実月の描画……〈場〉の世界を描く
実月の生……「苦しいことを分かってほしい」
結びにかえて……実月の〈癒し〉
第7章 批評の対象としての廃校――廃校の風景をめぐって
 権 安理
“廃校の風景”へのイントロダクション――戦後第三期と廃校
“廃校の風景”のエピステーメー――廃校調査の意味
シンボルとアレゴリー――ベンヤミンの導入
廃校の意味と活用への問い
第8章 まちづくりと「場所」――ベルク「風土論」からの接続
 古市太郎
問題の所在――「場所の空間化」か、それとも「場所の再創造」か
「人と地域が共に成長する」まちづくり――月島・西仲共栄会の活動
人間存在と場所の往復関係
むすびにかえて――人間存在を動機付ける場所
第9章 ナショナリズムの残余――佐野利器の「反美術的」職能観
 天内大樹
様式――構造学者のアプローチ
国家――欧州行きの洋上から
二つの廃墟――防火から防空へ
第10章 法と芸術の交錯――映画「SHOAH」とアイヒマン裁判を通じて
 小林史明
はじめに
映画「SHOAH」とアイヒマン裁判が呈示するもの
ナラティヴ法学の視点
残された課題と方と芸術の可能性

http://d.hatena.ne.jp/conchucame/20111102/p1


◇ 共著『批評理論と社会理論2:クリティケー』 - sat_osawaの近況など。

本論集は「叢書アレテイア」の14巻目として刊行されました。「批評理論と社会理論」というテーマを13巻と共有しているため、タイトルにそれぞれ「1」「2」がついています。明確な線引きはなされていませんが、14巻はどちらかというと、美学やメディア、文化、倫理にかかわる領域の論考が配置されました。目次は下記のとおり(副題省略)。

  第1章 仲正昌樹「「美的なもの」の社会理論」
  第2章 清家竜介「コミュニケーション・メディアとミメーシス」
  第3章 西角純志「》Die Moderne《における否定的なもの」
  第4章 白井亜希子「希望の内実」
  第5章 ファビオ・アクセルート・デュラン(竹峰義和訳)
         「文化解釈におけるアドルノへの回帰」
  第6章 宮川康子「戸坂潤と小林秀雄
  第7章 先崎彰容「美と政治のあいだ」
  第8章 大澤聡「人物評論の存立機制」
  第9章 堀井一摩「検閲を読む」
  第10章 浜野喬士「肉食忌避・ベジタリアニズム・動物」

http://d.hatena.ne.jp/sat_osawa/20120107/p1