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>>>福住廉さんの展評“梅佳代写真展「シャッターチャンス祭り」”より
芸術一般もそうなのかもしれないけれど、どういうわけかジャンルとしての写真には、撮る側にしろ、見る側にしろ、批評する側にしろ、どうにもこうにも「気持ち悪い」ところがぬぐいきれずに残っている。いささか乱暴に言ってしまえば、荒木経惟の写真は病的なセンチメンタリズムに浸っているし、森山大道の写真に一貫しているのは根暗なロマンティシズムだ。あるいは、コンプレックスの裏返しとしての「おしゃれな自分の世界自慢」みたいな写真も気持ちが悪くてしょうがない。それらが、ある種の文学的な嗜好性をもつ人々にとっての求心力になっていることはわからなくはないけれども、その点にだけ写真の可能性を押し込んでおかなければならない理由はまったくない。