Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20051225#p6)

■コ・ン・ポ・ラ
写真家・榎本千賀子さんの日記より重引。
以下、新倉孝雄『私の写真術−−コンポラ写真ってなに? 写真叢書』(青弓社)より。

未組織に身を置くものは、不透明な世相に戸惑い、やりきれないもどかしさにかかわれないことの悔しさが重なって、対岸へと逃げ出したい気分になって傍観者の視線へ走ったのです。いつか、どこかで見たアメリカ的風景はソフィスティケーションをほどこした写真、わかろうとしないで、わかったような気分になってしまう。これがコンポラの土壌であったと思います。お手本があり、スタイルをなぞり、結果を早急に求めたため、袋小路に迷い込んで持続性を断ち切られてしまったのでは、と思います。私は写真を始めてから、重厚なテーマを背負い込んで、その地にドッシリと根を下ろし、「作品」に仕立てて世に問う方法を写真に求めてきていません。どう消化していったかというと、時代認識の温度差は個々に異なりますが、日々の生活のなかでテレビや映画を見て、新聞、雑誌に目を通し、家族、友人とおしゃべりをしては、自分なりに時の流れを把握して、気になる場所へ、気になる時間に出かけ、誰よりも見やすい「特等席(?)」でカメラを通して「…とある場面」に出会うよう心がけていました。それにしてもコンテンポラリーほど薄情なものはありません。はかなく、あっけない消滅の危惧を常にはらんでいます。

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