Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

本当のところ関口正夫 牛腸茂雄『日々』(1971年4月1日発行)に「黒フチ」付きの写真は何点掲載されているか?

  • 関口正夫さん …… 1/24 (最後の写真1点のみ 縦位置は19番目の写真1点のみ)
  • 牛腸茂雄さん …… 4/24 (3,11,14、19番目の写真 縦位置は23番目の写真1点のみ)


ちなみに、『牛腸茂雄 作品集成』(2004年9月7日発行)によれば、
SELF AND OTHERS』(1977年)の黒フチは55/59(つまり4点を除いてすべて黒フチ付き)、
『見慣れた街の中で』(1981年)の黒フチは0/47(カラー写真だから?)です。
※ただし、初版写真集収録のものは異なる可能性あり。


あと、『スナップショットの時間 〜三浦和人と関口正夫〜』のカタログをめくってみると、
黒フチが付いている写真の比率は、1/200〜220(分母は概算)でした。
黒フチ付きは、上記『日々』所収の関口正夫さんの写真1点のみ。


◇ Hibi / Days., GOCHO, Shigeo and Masao Sekiguchi. - Harper's Books
http://www.harpersbooks.com/store/12448.htm
http://www.harpersbooks.com/
関口正夫さんの黒フチ付き写真(大きな土管[?]の上から飛び降りる少年)が掲載された見開きの画像あり。


◇ 不在のインデックス──高松次郎の「写真の写真」(清水穣)の註より

3 この写真集に序文を寄せている大辻清司にも「写真の写真」がある。「一函の過去(Ver)」(一九七七年)「見えぬ意味を見ぬ意味と」(一九八〇年)。光田由里「メタ写真と私性」参照。『<写真>──見えるもの/見えないもの』所収、東京藝術大学美術館、二〇〇七年、一二頁。写真に黒い縁取りを付けるという形式の「写真の写真」を撮り続けたのが(大辻清司の学生であった)牛腸茂雄である。高松と牛腸における私性と日常性の位置を比較することには意味がある。

『写真と日々』(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060926#p3)所収。強調部分引用者。
ついでに調べて見ましたが、畠山直哉さんの『等高線』(1981〜1982年)には
黒フチなし黒フチあり(訂正→http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090725#p3)。


>>>スナップショットの時間 〜三浦和人と関口正夫〜@三鷹市美術ギャラリー

いわゆる「コンポラ写真」をかつて批判したプロヴォークの面々(中平卓馬さん、森山大道さん、多木浩二さんら)が、
関口正夫さん、三浦和人さん、牛腸茂雄さんの写真を今改めて振り返ったとしたら、
どういう言葉が出てくるのでしょうか? 気になるところです。
まあ、ある方は現在の土田ヒロミさんを「いつまでも砂数えてるんじゃねえよ」と評したそうですから、
とくに↓以前と変わりないのかもしれませんが。。。


◇ 引用単語辞書「み」 - 語彙の森の辞書

 多木浩二は71年……「日々」(牛腸茂雄と関口正夫)の書評を書いて、「かれらによって選択された態度、あるいは見る方法はあまりに素朴すぎ、調和にみちていて疑問を感じないわけにはいかない」と評している。中平卓馬森山大道との対談の中で「日々」を「あれほど無感動で、爽やかに生きていることが不思議でならない……何ごともないということがすごいというふうに、悪い評論家がいうわけだ……うらみつらみがなければ撮らない方がいい……何かのこだわりがなければ、<日付>も何もないわけだ。ミミズの生活だよ……ああいう写真といっしょにされるのはちょっと心外だね」とコキ下ろしている。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/page-mi.htm
「あれほど無感動で、」のくだりは、
森山大道×中平卓馬「8月2日 山の上ホテル」(『写真よさようなら』[1972年 写真評論社刊]所収)での発言です。
「日付と場所」「コンテンポラリーとリアリズム」といったことが議論されていたのもこの頃でしょうか。
写真観の違いと言えばそれまでですが、
プロヴォーク系/大辻清司系/重森弘淹系/……
というふうな各トライブのあいだに横たわる「/」が強化されたのも、
このあたりの事情が関係しているのかもしれません(中平卓馬さんと大辻清司さんの直接の論戦は実現しなかったようです)。
また、いわゆるアレ・ブレ・ボケのプロヴォーク・スタイルではないのに、
プロヴォークの同人だった高梨豊さん(本来なら大辻清司系では?)の立ち位置も気になります。
中平卓馬さんは、高梨豊さんの写真を「世界はこのようにあるんだよな」と手放しで絶賛していたはずですが。。。
ちなみに、高梨豊さんは当時、プロヴォークのひとつ前の世代にあたるVIVOの東松照明さんに、
「“ちょろスナ”やってんじゃねえよ」というふうに言われたそうです。
あと、森山&中平に「荒木きょうかたびら」と呼ばれて批判されていたこともあった荒木経惟さんの
「コンポラ」と呼ばれる写真に対する距離のとり方がどうだったのかも気になります。

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080915#p2


>>>ソーシャル・ランドスケープ関連おさらい

◇ III 溶解していく現実 - 重森弘淹『写真の思想』

この3,4年来、「コンポラ・フォト」と称する傾向が、若い写真家たちの気持をとらえている。日本で「コンポラ・フォト」が正式に自己の座を獲得するのは、『カメラ毎日』(1968年6月号)で、そのことについて論じられて以来である。「コンポラ・フォト」、正しくは1966年、アメリカのホリゾント・プレスから発行された『コンテンポラリー・フォトグラファーズ』の略称で、「同時代の写真家たち」という意味であることはいうまでもない。1967年にはその第二集が出版されている。しかしわが国で「コンポラ・フォト」という場合、第一集の「社会的風景に向かって」というテーマに沿って集録された一連の傾向を指している。

ここにはすでに気鋭のアメリカにおけるドキュメンタリストとして知られているブルース・ダヴィッドソンをはじめ、デュアン・ミカルス、リー・フリードランダー、ダニー・リヨン、ケリー・ウィノグランドといった、いわばオフ・マガジンの写真家たちが顔を並べている。しかし1966年、この写真集が登場したころ、すでに日本でもひそかに「社会的風景」を志向する写真家が出てきていたのであり、その点で意図しなかった同時代的な傾向として注目してよいだろう。

しかし当時の日本の「社会的風景」派は現在写真から遠ざかってしまったスイス生まれのアメリカの写真家、ロバート・フランクの影響によるものと考えてよく、またわたしなども、従来のイベント中心のいわゆる報道写真にあきたらない気持から積極的に後押ししたのであった。

http://shigemorikoen.com/koen/ss/03.html
*1

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090624#p3


>>>清水穣『白と黒で──写真と……』(現代思潮新社)より その1

[略] 美術界で氾濫する「イノセント」に先だって九〇年代の写真界を席巻した通称「女の子写真」は、右で述べたような疑問を湧き上がらせ、そして諸手をあげた全面肯定のうちに抑圧した。写真を撮る裸の王様が出るのも当然であろう。

 批評の不在、わかりすぎるのでわからない写真の過剰、それは、同じ様な問題を携えつつアメリカの一九六〇年代に生じ、日本では一九七〇年代に反復されたことである。マイ・フォトグラフィー、マイ・ライフ、すなわち「私」の写真、「生きている」私の「リアリティ」の問題。端的に言って「女の子写真」とは、一九九〇年代の「コンポラ」写真なのだ。つまり、九〇年代後半の写真をめぐる状況は、七〇年代に日本で生じた反復の、子供世代による反復である。批評不在のスナップ写真の隆盛に、「リアリティ」と「私」の問題が絡む構図。実際、すでに七〇年代初頭にも癒し系で日常派の「私」写真は数多く存在したし、引きこもりならぬ「内向の世代」が論じられた時代でもあった。しかし四半世紀を経て、当然ながら新しい外的状況が加わっている。

[P152-153]

[略] それは、荒木経惟の頃から「下手ウマ」として多様化し、全ての差異を吸収できるようになった広告写真なのだ。だから「私の撮った写真とどこが違うのか」という冒頭の問いは、そこでは「広告写真とどこが違うのか」とずらされ、スナップ写真と広告写真の差異が問題化される。もっとも、この問いが我々を導く先は写真の本質というよりも、現在写真を撮る苛酷な条件にほかならない。「世界は写真だ」は二五年を経て「世界は広告だ」になった。つまりすでに広告写真にならない写真は存在しない。スナップ写真は広告写真よりもノイジーな夾雑物が多く不純なのであり、真空度が充分でない、というふうに差異をつけてみる、とたんに、ノイジーなスナップ写真が広告にされるだろう。後に述べるティルマンス(彼もまた変容した広告雑誌でデビューした)の「戦争」がどれほど困難であり、広告に吸収されてしまわないために厳密な戦略を必要とするかが窺い知れるはずである。

 ところが、若手作家の多くの写真には、明るい午後の叙情というか京王線沿線の日曜日というか、希薄な叙情が満ちている。木漏れ日をまぶしそうに見あげ、春霞のように露出オーバーで、美しく輝く今ここでの生の瞬間を切り取って残したい……人々のなんと多いことか。写真を撮ることで「今このとき」を直ちに「過去」にして「思い出」として所有したがる強迫的な欲望は、「今」を充満させる自己が空っぽであるという事実に由来する。九〇年代以降の世代、それは自己と身体の隅々まで広告にほかならない世代であり、それ以外の自己や身体を知らない。「人間だったらよかったのに」、むしろ内面という商品をあてがわれ続けた昆虫的存在であって、全面的な「おいしい生活」のなかで生まれ、養殖されてきた世代なのである。叙情とはうつろな容器に溜まっていく液体であるから、広告はかならず叙情的であり、叙情的広告こそは若い世代の「私」を充たし養ってきた。自分に正直であるとは、うつろな「私」に「叙情」が溜まるがままに任せるということなのだ。アラーキーの子供たちはアラーキーが戦略的に選択したことを、生来の状態として体現してしまっていると言えるかも知れない。

[P157-158]

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080521#p3

*1:ワイドレンズであえて引いて撮るという手法について
  とっくの昔にちゃんと語られていることを今さらながら知りました。
  http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061226#p8