問題は、そうすることが果たして正しいのか、ということだ。
僕が愛聴しているラジオ番組、「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」でも同様の問題が取り上げられている。
映画「レスラー」において描かれる主人公の破滅の甘美な描き方は、三沢光晴の死をそこに重ね合わせてみた場合、とうてい受け入れることはできない、というリスナーの意見を踏まえ、宇多丸さんはこのように発言している。
「だからプロレスってこんだけ身体痛めつけて危険なんだぞと、無理しながらやってんだぞと、で、それによって、命が失われたりとか、人生が不幸になるんだって言うんだったら、それってダメじゃん!っていう……。好きになればなるほど、例えばその、アイドルだったら。アイドルを好きになればなるほど、アイドルというシステムは構造的に、アイドル本人を、そしてファンを、結局は不幸にしてしまうシステムなんじゃないのかって思うことはあるわけですよ。(中略)ってことは、アイドルを応援すること自体が、アイドル本人ってことを考れば、よくねえんじゃないのかって……」
この問いに答えは無かった。自分の愛するものが、何かを蝕んでいくとき、僕たちはどうすればいいのだろう。
そうした矛盾を呑み込んで愛すること、それ自体は簡単なことだ。僕たちはそうするように作られてきたし、事実そうしてきた。