http://twitpic.com/141jyc - 『ゴダール的方法』はインスクリプトから近刊です。
http://twitter.com/hirakurakei/statuses/9314530210
平倉圭さん(http://hirakurakei.com/)のツイッターより。
>>>平倉圭さんの博士論文公開審査
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090626#p5
◇ インスクリプト最新情報 - INSCRIPT correspondence
【最新刊】
『斜線の旅』管啓次郎著、2010年1月8日より発売中。詳細はこちら。★刊行記念イヴェント管啓次郎×林巧対談、3月9日(火)青山BC本店にて→詳細はこちら。
『PARK CITY』笹岡啓子写真集、2009年12月24日より発売中。詳細はこちら。
『愛の小さな歴史』港千尋著、2009年12月8日より発売中。詳細はこちら。★刊行記念イヴェント港千尋×堀江敏幸対談、3月13日(土)青山BC本店にて→詳細はこちら。【続刊】2010年初夏刊行予定
『オーロビンド伝』(仮)ピーター・ヒース著/柄谷凛訳
『ゴダール的方法』(仮)平倉圭著
『シャティーラの四時間』ジャン・ジュネ著/鵜飼哲訳[ジャン・ジュネ生誕100年]
http://inscriptinfo.blogspot.com/2009/02/blog-post.html
初夏刊行予定となっています。
◎ INSCRIPT
http://www.inscript.co.jp/
-
-
- -
-
>>>2009-04-09 09:06 - 平倉圭 hirakura kei
写真=痕跡論というナイーブな議論が間違っていると思う点は、多々あるけれど、ひとつはこの内在性の問題だ。単独的な出来事の痕跡をフィルム上に認めて涙する、というとき実際に起きているのは、その単独的な痕跡を認めた(と信じる)この単独的な「私」の身体に対するナルシスティックな耽溺でしかない。
カメラはしばしば、出来事の内在性を破壊する。カメラが置かれることで、出来事の参加者は出来事の外部に連れ出され、カメラを携えた観察者もまた、出来事の内在的な展開からその外部へ、現像と提示の瞬間へとあらかじめ連れ出されてしまう。
写真の問題はむしろ、出来事の内在性を破壊しないような仕方でカメラを置くこと、あるいは、カメラによる出来事の内在性の破壊それ自体を撮ることにある。そこに撮影者の技量は明確に現れる(他国の撮影、出産の撮影、葬式の撮影を考えよ。「撮影者」はいかなる場合においても「他所者」として現れる)。写真=痕跡論はその技量の差異を扱うことができない。そうである以上、理論の名に値しない。
内在的身体を獲得した写真家を讃えよ。/内在性を破壊し尽くす写真家の身体に刮目せよ。
誰にでも獲得しうる身体ではないから。カメラを持っているだけで、「写真家」として仕事しているだけでそうなるわけではない。
一切の写真は痕跡であり、そうである以上すばらしく、涙を流すべき何かである、というような思考は、愚かしい。