Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100201#p14 http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100303#p9)

■2010-01-30 - 排他的WEB写真界域

アサヒカメラ2月号が面白い。


ホンマ・石川の喧嘩もさることながら…

清水・竹内の写真論が対極になっていたりする。

2月号は対極特集なのかと思ったけど…

写真を「見る」言葉とあったりするから、流行語特集なのかもしれない。

なかなか2月号は完成度が高いと思う。

世の中、ハッタリで生きていけると感じさせてくれた。

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俺、嘘つくのがヘタクソなんだよ

http://d.hatena.ne.jp/okm/20100130
岡正也さん(http://okamasaya.com/)のはてなダイアリーより。


ホンマタカシさんと石川直樹さんの対話ですが、
まあ、あの程度のやりとりは喧嘩とは言わないと思います。
それに議論ならともかく「喧嘩」などしてどうするんでしょう。


ちなみに、かつて同連載「今日の写真」において、ホンマタカシさんが石川直樹さんの写真を
ブログの写真だと評したことについては、今回の記事ではふれられていませんでした。


◇ 新しく買った本はカバーをしてもらうが、それが積読状態にあるとまた次の本を買ってしまう。困ったことだ。 - Private Eye

この石川直樹がいま発売中の「アサヒカメラ」2月号で愉快なことを言っている。
連載鼎談・今日の写真2010 にゲストとして出席しての発言。


  ホンマさんは若い人の作品を厳しく批判する傾向にありますよね。自分よりも上の世代の写真家
  に対してはぼやかした表現で語る一方、自分より立場の弱い若手の写真家には強く出る。怖そう
  な写真家には触れずに、ゲストの人に批判させたり、ちょっとだけフォローしながら会話のなか
  に入らずに無言、みたいな。なんだかズルい姿勢だなあと前から思っていました。

http://ppeye.exblog.jp/12756732/
アサヒカメラの記事が引用されているブログを発見。


同連載ではありませんが、過去の例でいうと、
森山大道という病」(by ホンマタカシさん)という発言と、
いざ森山大道さんを前にしての対談でのトーン、
「(篠山紀信さんとオレ)どっちの見方なんだよ(笑)」(by 荒木経惟さん)
なんかに代表される態度? 姿勢?


あと、リファラ経由で発見した
↓いくつかのブログとツイッターを。


ホンマタカシ石川直樹 - 些細な事の積み重ね
http://kanzakiiii.exblog.jp/13529242/


◇ 久しぶりにアサヒカメラを買う - focus imaginarius
http://blog.livedoor.jp/maesthek/archives/51424543.html


◇ atsushisaito: 今月号のアサヒカメラで、ホンマタカシ石川直樹がバト ... - Twitter
http://twitter.com/atsushisaito/statuses/8017251275


Twitter / nsx: RT @THiwataC: 今月号のアサヒカメラの鼎 ...
http://twitter.com/nsx25z/status/8079146973


野々村文宏: 「アサヒカメラ」2月号、ホンマタカシと倉石琴乃の連載 ... - Twitter
http://twitter.com/nonomurax/status/8023108544
野々村文宏さん(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090123#p7)もツイッターをやっていたとは。

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>>>「今日の写真2009 第5回 写真が建築において果たす役割の大きさ」より

ホンマ かと思うと、こういう写真もあるんです(図版(10))。リカルダ・ロッガン(※8)というドイツの写真家で、いま、ちょうど個展をやっています(2月3日〜4月25日、アンドーギャラリー)。彼の「Baumstück」というこのシリーズは木の表面。建築で言えばファサード(正面)だけ撮ったような写真。木の表面だけ撮る人ってあんまりいないなって。展示を見たんですが、120×150センチの、ドイツ写真らしいすごく大きなプリントでした。ギャラリーに展示してあるとアートですけど、旅館に1点だけ飾ってあったら花鳥風月の写真にも見えるし。不思議な感じでしたね。
倉石 いろんな写真家やアーティストが森を撮りたがってる。そういう時期なんじゃないですか。
ホンマ 僕もそう思って、気になっているんです。ロッガンは旧東ドイツに住んでいるんですが、歴史の遺産をテーマにして撮っていて、作品集のタイトルも「20世紀に生まれたもの」。05年に東京国立近代美術館で展示された「ドイツ写真の現在」のなかにも入っていました。そのとき紹介されていたデビュー作は取り壊されるビルから家具だけを持ってきて、同じようにスタジオに置いて、また撮った写真。ほかにスクラップになった車をスタジオに持ってきて撮影したシリーズもあって、その三つがどういうつがなりなのか、わかるようなわからないような。

『アサヒカメラ 2009年5月号』所収 ゲスト/五十嵐太郎さん レギュラー/ホンマタカシさん&倉石信乃さん
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=10341
この記事ですが、ホンマタカシさんが
リカルダ・ロッガンの「樹木(樹塊?)」シリーズを
批判しているのだと思っていましたが、
必ずしもそうではなかったのかもしれません。


私も実際にロッガンの展示を展覧会場で見ましたが、
しかし実物を見る限り、「花鳥風月の写真」に見えるような写真だとは感じませんでした。
おそらく、旅館に1点だけ飾ってあっても
そんなにも印象が変わることはないのではないでしょうか。
いわゆるネイチャー写真的なものではなく、
不可思議で異様な写真だと私の目には映ると思います。


「ギャラリーに展示してあるとアートですけど、旅館に1点だけ飾ってあったら花鳥風月の写真にも見えるし。」
というホンマタカシさんのコメントですが、どういう見地からの発言だと考えればよいのでしょう。
たとえば、今はなき月刊誌 relax(リラックス)の特別編集版として出版され、
のちに写真集にもなったホンマタカシさんの「ハワイの波」のシリーズ「NEW WAVE」は、
旅館に1点だけ飾ってあったとしてもアートになるんでしょうか?
花鳥風月の写真に見えてしまうということは、ありえないのでしょうか?
ロッガンの「Baumstück」と比べてみると、
むしろホンマさんの「NEW WAVE」のほうが危ういのでは?
と、私には思えるのですが。。。
おそらくホンマさんにも、そうした問題意識があったからこそ、
ロッガンの個展を通して自分の作品に重ね合わせて、
ああいった歯切れの悪い物言いになってしまったのでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090806#p2


南インドカレー - AKAAKA

発売中の「アサヒカメラ」を何気なく見ていたら、いささか驚いた。

赤々舎の新刊「私は眠らない」と「アンニョン」について少し触れられている鼎談があるのだが、

「情念」、「私写真」、「フェミニズム」という言葉が語られていたから。

私はその2冊のことをそのように考えたことはなかったし、詰まるところ、そのように写真を見る観点が私にはないのである。

個々の捉え方があってもちろんいいのではあるが、そうした言葉によって棚上げ気味にされる気配が残念ではある。 そして、「姫野さんの写真集に見える」という見え方も、指し示すものはいろいろあるかもしれないが、私はあくまで写真集は写真家のものでしかないし、そのようにつくりたいと思っているだけに気になる。

難しい。 南インドカレーを目指してみる。

http://www.akaaka.com/blog/bl-100222.html
先月発売の『アサヒカメラ』3月号での鼎談についてのコメントでしょうか。


◇ アサヒカメラ □ 2010/02/20発売号 - 雑誌のFujisan.co.jp

今日の写真2010
ゲスト/石井孝之
レギュラー/ホンマタカシ倉石信乃

http://www.fujisan.co.jp/product/45/


>>>「今日の写真2009 第5回 写真が建築において果たす役割の大きさ」より
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090806#p2


>>>2010-01-30 - 排他的WEB写真界域
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100201#p14


>>>最近のお客さまから
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070123#p5