Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

メモ

今村仁司ベンヤミン - 宇波彰現代哲学研究所
(1) http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-35.html
(2) http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-36.html
(3) http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-37.html
(4) http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-38.html


◇ ミメーシス - suneoHairWax::sociology - sociologyグループ

アドルノにとってミメーシスは、自然と主体、あるいは自己と他なるものが互いにその差異を承認しあいながら出会いうる非同一的=同一性の、別の言い方をすればいかなる「支配の暴力」の影も宿さない自―他関係の境位を指し示すものである。それは「同一性」が「支配の暴力」として機能する「啓蒙」以降の虚偽の社会において、唯一芸術=美の仮象=顕現(シャイン)においてのみネガ=ユートピア的にかいまみられうるのである。
ベンヤミンアドルノユートピア的イメージに彩られたミメーシス概念より一歩ふみこんで、ブルジョア的近代?が喪失した太古における宇宙規模でのコレスポンデンツ(交感)の把持能力としてミメーシスを捉える。
「――むかし類似の法則によって統治されているようにみえた生物圏は、広く包括的であった。小宇宙の中でも大宇宙のなかと同じように類似が支配していたのだ。そして、自然がおこなうあの交信(コレスポンデンツ)がその本来の重要さを獲得するのは、それらすべて例外なく、人間の内部にあってあの交信に応じる模倣能力に対して、刺激剤ないし喚起剤として作用するのだという認識が成立するときである」(「模倣の能力について」佐藤康彦訳)
ベンヤミンの「模倣能力」(ミメーティッシュ・フェアメーゲン)は、ベンヤミンの最も固有な問題であるアレゴリー?認識、すなわち始源の存在布置(コンステラツィオーン)(星座)とその破砕された「断片」(シュトゥク)としてのアレゴリー(廃墟)のあいだの本質的な照応(コレスポンデンツ)――それはいつか始源のコンステラツィオーンが復元される可能根拠ともなる――につながる。
ベンヤミンが構想する硬化し、石女*1化してしまった過去の救済のモティーフ――それはベンヤミンにおける「希望の弁証法」の契機である――を支えているのは、この「模倣能力」としてのミメーシスに他ならない。
【参考文献】アドルノ『美の理論』大久保健治訳〈河出書房新社〉/ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』野村修訳〈晶文社
高橋順一

http://sociology.g.hatena.ne.jp/hidex7777/20060112/p1
http://sociology.g.hatena.ne.jp/hidex7777/