Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

qual quelleさんのTwitterより

◇ qual quelle (qualquelle) - Twitter

一部で話題になったまとめ「学芸員/キュレーターとはなにか・・・」、相変わらず錯雑としているが、幾つかの発言が注意を引いた。http://togetter.com/li/151232

そもそもは、斎藤環高橋悠治からこっ酷くイジメられ、追徴課税でも株を下げた自称「脳科学者」の、「そもそも、キュレーションやるのに学芸員資格なんていらないよ」という何気ない発言が、一部の中の人の強い反応を呼んだ訳である。

QT @ErikoKIMURA: 二重の問題が指摘されています。まず学芸員=キュレーターという一般的理解の誤り。実際はレジストラーやコンサヴァター、時にはエデュケーターの仕事が入り交じっている現実を整理しなくては。RT @kenichiromogi: …

学芸員≠キュレーター」「学芸員=雑芸員」も知らんのか!と自称脳科学者を難詰する態である。そんな業界事情を当然の常識とばかり要求するのは、自称脳科学者とは言えお気の毒。どころか傲慢。更に言えば、世間様におしなべて理解や同情を求める嫌いさえあって、無様である。

一時の事、一部の者とは言え、そんなこと今更な筈の人たちが、これほど盛り上がるのは奇異であり、ここに業界の心象風景があるのかも分からない。そんな情緒の共有の中から、次のような威勢の良い発言も飛び出している。

QT @aododenzen: 「新しい文脈作っちゃうぜ」、あるいは「新しい切り口だぜ」とかが口癖の人たちが、カタカナ言葉のキュレーター。…で、これにインディペンデントとか形容詞がついてる人たちは、地方館の学芸員の仕事とかまったく眼中にない、というのが私の勝手な固定観念

RT @aododenzen: さあ、これだけ挑発的なことを言ったから、反論をどんどんお寄せください、カタカナのキュレーターの皆さん!

この初期洋風画の人は、Twitterは無責任な放言の楽しみを身内で共有する場、といった程度の料簡だったのであろう。ところが、知らない人から本当にリプライがついてしまう。東谷隆司氏 @AxZxMxYx が、強い不快感を表明した。次の如し。

QT @AxZxMxYx: そんなことないよ。こっち厳しいよ?こーゆーの月給もらってる奴に言われたらムカつく @aododenzen: …

QT @AxZxMxYx: これ、ほとんど俺にとっては個人攻撃だよ @aododenzen; …

QT @AxZxMxYx: あー気分悪い。俺、スルー能力ないからね @aododenzen; …

QT @AxZxMxYx: @aododenzenさんて公立の学芸員なの?公金もらってる人の言うことじゃないね。どこの館? …

QT @AxZxMxYx: @aododenzenさん、インディペンデントの実情を知らないなら、なおさら失礼です。僕、地方の美術館学芸員の方で尊敬する人、いっぱいいますよ。…

などなど。

言い返された方は、呆気無く尻尾を巻く。「とは言え」が無様である。QT @aododenzen: 「勝手な固定観念」と断ったとは言え、不快な思いをさせたとしたら、大変申し訳無く思います。すべては私の無知ゆえのことです。

聞きたい言葉は聞けたと虚勢を張るのだが、尊敬されたいが為に学芸員をやっているという性根の告白にも思われる。QT @aododenzen: 「僕、地方の美術館学芸員の方で尊敬するひと、いっぱいいますよ」という言葉を聞きたかったからかもしれません。ありがとうございました。

QT @aododenzen: 研究対象や成果を発表する場所は身近にはあるが、これを利用する機会は年に1回あれば幸運。公金をいただく身であるとは言え、それは自分の研究成果に対する代価とは決して言えない。…

QT @aododenzen: …それはあくまでも、研究対象(作品)や展示場所を維持運営するためのいろいろな労力に対して支払われるものと理解。

自分は私的研究の対価として給料を貰っている訳ではないと、小学生にも分かりそうな事を力説している。自らの職務に「労力」の文字を当てる尊大さも印象深い。美術館の中の人ってなあ、面倒臭いのがいるんだなあ、という広報効果を認めるばかりである。

次に引く感想を鋭いと思った。

RT @nanami_yuki: 学芸員とキュレーターの話、盛り上がっているけど、ケースバイケースすぎて、なんだか「自分探し」をしているようで、積極的に参加する気になれない…。他の分野で、こういう話題で盛り上がる職種ってあるんだろうか。

幾つかの発言からは、自らの職務と職能、社会的立場とアイデンティティとを、不即不離のものとして結び付ける、職業観と人生観の幼さも浮かび上がる。

当代の宗教(自己啓発)としての「美術」の神殿たる「美術館」の司祭たる「学芸員」は、当代の下層民の娯楽でありオブセッションでもある「自分探し」の先兵といった風情か。

職務と自尊心、この両者を柔軟に切り離したり結び付けたりする事こそ、粋であり、時にノブレス・オブリージュであり、基本的には至極まっとうな当事者意識ってやつである。そうでなくては不自由で気分が悪い。良い仕事どころではあるまい。

http://twitter.com/qualquelle