Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年11月17日 - Twilog

再囀:気になる内容。少し厳しいかなとも思う反面、朝方フォローされた渋家の齋藤桂太さんの履歴やツイートを拝見して感じたこととも結びついて頭の中がぐるぐる。若いとはそういうことなんでしょうけども…【勉強なら他所でやれ | Transistar】http://t.co/oS9lvSYQ

美大生(的なるもの?)http://t.co/RwYEyDw4

再々囀:【「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病【番外編】ドメスティックな文脈」 - Togetter】http://t.co/r81IVKJs これを読んで感じたことは、いろいろありますが、今年見た展覧会にからめると、SCAIの長島有里枝さんと(…

…)ギャラリー小柳で開催されたオラファー・エリアソンのことを思ってしまいます。西欧の文脈をふまえた上で作品を鑑賞すると、(作者が意識しているいないに関わらず)前者で言えば明らかに仮象(シャイン)の問題、後者で言えばロバート・スミッソンとの関連ということになるんでしょうが、(…

…)そういった角度から展覧会を評したものはあるんでしょうか。もちろん、あえてそういう文脈をスルーする(意に介さない)ことの価値や可能性もよくわかるのですが。

http://twilog.org/n291/date-121117/asc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年03月29日 - Twilog

RT @kenjirookazaki: @shirotheworld 絵心があるというのは、絵を受け取る心があるということ(と)。特に自分で絵を描きながら楽しみ悲しみ興奮、鎮静(さらに精密な感覚を生起)し、これをフィードバックして描き方を調整できること。演奏しながらそれを耳で聞きフィードバックできるかどうか。離見の見

RT @kenjirookazaki: とさしあたり考えます。そして存外それはむづかしい。制作と鑑賞の同時進行。換言すれば自分の絵にのめりこみつつ同時に距離をとって眺めることをやらねばならぬのだから。離見の見(能)。これを客観的基準=キャノンとして内面化=機械化させるのが所謂西洋式教育。@shirotheworld

RT @daijapan: 選手が考え始めると急に成績が落ちる谷間のような局面がある。特に若い選手の動きは、練習で磨きもするのだけれど、できるようになったというより、気がついたらできていたという方が近い。無意識でやっていたものを、意識した途端に動きがぎくしゃくして頭がこんがらがってわからなくなる。

RT @daijapan: じゃあ考えずにいければいいかというと、これも危なっかしくて、怪我をしたり動きが乱れると、どう修正していいのか自分で理解していないから、全く戻ってこれなくなったりする。自分を一度も眺めた事がないようなもので、元の姿がわからないから戻し方もわからない。

RT @daijapan: 厄介なのは一度考え始めると、考えなかった時に戻るのが相当難しいという事。改めて自分がどう動いているかを観察してそれを意識してコントロールして、なおそれが自然になる迄にやっぱりちょっと時間がかかって、その間で選手の競技力は落ちて悩む事が多い。

RT @daijapan: 厄介なのは一度考え始めると、考えなかった時に戻るのが相当難しいという事。改めて自分がどう動いているかを観察してそれを意識してコントロールして、なおそれが自然になる迄にやっぱりちょっと時間がかかって、その間で選手の競技力は落ちて悩む事が多い。

RT @daijapan: その時に大事なのは考えている事を忘れる事ができる能力。僕が足の裏から意識を離せなったときは、左手に鈴を握ってその鈴の音に意識を集中させる事を繰り返していた。考えない状態に入るのが難しいんだったら、何かに心奪われるやり方は、代用としては結構いいと思う。

RT @kenjirookazaki: しらべものは無目的でもナンセンスでもない。無自覚=知覚されなかった回路(決まり事)を見出すために行われる。従ってそれは悟性に喜び=解を与え、その解は美学的快に結びつく。このプロセス=遅れて得られる合目的性が快。この解と快がいつのまにかズレ、バラバラに進行させられるほどの不幸はない

RT @kenjirookazaki: 不幸というのは回路を受け取る人がそこに何も見出さず(発見せず)、ただ面白いとか、ぶっとんでいるとか、ポップとかはしゃいでしまうせいかもね、と今和次郎の学問的おおらか(寛容な)さ=まじめさに思う。おおらかさはもちろんおふざけとはとは違う。ふざけて、あんなに大変なことはできません。

RT @kenjirookazaki: 今和次郎の仕事はマテリアルとして情報を扱うこと。つまり唯物論。夢を分析するのと同じように都市を分析。なぜここに草がはえここにヒビがはいったのか、すべて必然。構造と現象に分けるのでなく現象に別の構造=因果系の介入を読み取る。現象を意識と読み替えればそれがこの時代の基本(尖端)思想

RT @kenjirookazaki: 今和次郎の仕事はマテリアルとして情報を扱うこと。つまり唯物論。夢を分析するのと同じように都市を分析。なぜここに草がはえここにヒビがはいったのか、すべて必然。構造と現象に分けるのでなく現象に別の構造=因果系の介入を読み取る。現象を意識と読み替えればそれがこの時代の基本(尖端)思想

そのへんの美大生(アーティストの卵)よりも体育大生(アスリートの卵)のほうが頭を使っている可能性はあるかも……とは以前からたまに思ったりすることではあります。

http://twilog.org/n291/date-120329/asc