Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

[資料 2013-10-28]「現代アート」「アート」という言葉の大衆化

◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年07月07日 - Twilog

現代アート」???という言葉。http://t.co/RsMiyJRN http://t.co/wbtx4mSP http://t.co/gckVFm9S

僕はたぶんこの言葉を自分から発したことがほとんどないと思います。<@ka2saiki 自分もずっとへんな言葉だと思っていました。 @n291 「現代アートhttp://t.co/RsMiyJRN http://t.co/wbtx4mSP http://t.co/gckVFm9S

.@ka2saiki 昨晩のツイートですが、リンクが不十分だったようです。こちらをご覧ください→【2011年06月23日 - Twilog(古→新)】http://t.co/7yFcGM2Q

再度【現代アートという微妙な言葉】あくまでも推測ですが、ポストもの派とネオポップの間には大きな断層が走っていて、後者が前者とは違うということを主張するために「アート」という言葉を使いたかった。しかし、日本だとファイン・アートではなく、デザインとか広告表現とか別のものだと受け取られ

(続き)てしまう、かといって「コンテンポラリー・アート」だと通りが悪い。なので「現代アート」とした。みたいなことがあったのかもしれません。まったくウラをとってないので、あくまでも想像ですが。

http://twilog.org/n291/date-120707/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年07月08日 - Twilog

.@notes_on_camp @ka2saiki かなり話が進んでました。井上さんは、「アート」あるいは「art」であれば違和感を感じないということなんでしょうか?日本語の「美術」という言葉の成立については、北澤憲昭さんの『眼の神殿』を→http://t.co/kurE2yjl

いずれ付箋の箇所だけでも再読しておかないと。【北澤憲昭『眼の神殿―「美術」受容史ノート』より】http://t.co/Im8VDsVm

@ka2saiki 北澤さんの授業も受けていたんですね。すばらしいです。北澤さんはとてつもなくインテレクチュアルかつパンクで凄い方ですね。メディア的にちやほやされているどんな思想家、評論家、論客であっても、北澤さんにディベートで勝てる人は存在しないように思います。良くて痛み分け。

@ka2saiki @notes_on_camp 僕もそんなふうに感じています。「現代アート」は、やっぱり奇妙で苦手です。一方、日本語のカタカナ言葉の「アート」もやはり微妙で、「The Fine Arts」についての共通認識があるような方を相手にするとき以外は使いづらい言葉です。

http://twilog.org/n291/date-120708/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年07月09日 - Twilog

@notes_on_camp @ka2saiki ちょっと話が逸れていっていると思います。Contemporary Artという言葉は、専門的には1945年以降の美術ってことになるのは、おそらく自明でしょうし、あまり有意義であるとは思えません。

@notes_on_camp @ka2saiki @rachiakira テキストは興味深いものなのでしょうが(僕もリンクを保存しました)、現代アート、現代美術、美術といった日本国内で流通している言葉について考えることにはさして結びつかないのでは?

@notes_on_camp @ka2saiki @rachiakira いずれも未読です。書き手によっては面白いものもあるのでしょうけども、内容的に想像がつきますし、それを考えるというのは、手の込んだ知的な大喜利にあえて参加する、といったふうなことなのかもしれませんね(^^;

@notes_on_camp @ka2saiki おっと、失礼しました。井上さんの提言をきちんと読めてませんでした。本当に次の話題に移行しようという事だったんですね。申し訳ないです。「contemporary」について考えるとなると、それについて言いうる範囲は爆発的に広がりますね

@ka2saiki HUOのインタヴュー集はコンテンポラリーアート界の徹子の部屋だと常々思っていました。>なるほど!(^^; そういえば某USTでは、ジョン・バルデッサリはアート界のタモリみたいな存在、みたいなことが語られていたように思います。

http://twilog.org/n291/date-120709/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年07月10日 - Twilog

@ka2saiki @notes_on_camp @rachiakira アート・インダストリーがその言葉を必要としたということですね。確かにそれはあると思います。そうした切り分けはセグメンテーションの初歩ですよね。調べてみるとオークションハウスごとに微妙に定義が異なるようです。

@ka2saiki @notes_on_camp @rachiakira Christie'sの場合→http://t.co/007cp62I Sotheby'sの場合→http://t.co/QCF8tlKC

@notes_on_camp @ka2saiki かなり適当で荒っぽい(粗っぽい)想像では、1980年代のマガジンハウス、電通、セゾン文化などの動きが「アート」という言葉の大衆化に関与してそうですね。

@ka2saiki @notes_on_camp @rachiakira とりあえず、発見しました。ジョルジョ・アガンベン「現代とは何か?」→【"What is the Contemporary?" by Agamben】http://t.co/lsHhJz8M

@ka2saiki @notes_on_camp それは、昔のコンセプチュアル系の作家などによっても、よく語られることだと思います。やや大雑把かもしれませんが、80年代のアートバブルと00年代のアートバブルを経てかなり高度な産業化がなされてきたという歴史はあると思います。

@ka2saiki @notes_on_camp そして、リーマンショック以降、金融工学がマネーではなくアートそのものにも適用されてきているということも確かだと思います。ワリッド・ラードは、今回のドクメンタ13でその問題にもタッチする作品を発表していました(全体の展示の一部)。

@ka2saiki クラッシュ前夜のアートワールドを活写しています→Sarah Thornton: Seven Days in the Art World http://t.co/eooRq5tR サラ・ソーントン『現代アートの舞台裏』http://t.co/4DPAW8WW

@ka2saiki 「将来を気に入るかどうかは別にして、早く知るほうがいい」(ジョン・バルデッサリ) ※先ほどのSarah Thornton『Seven Days in the Art World』http://t.co/eooRq5tR の邦訳版からの引用です。

再囀:【「将来を気に入るかどうかは別にして、早く知るほうがいい」(ジョン・バルデッサリ)】http://t.co/4ZWt123I

http://twilog.org/n291/date-120710/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年07月11日 - Twilog

@ka2saiki 僕は、この本の翻訳版をとても面白く読みました。これから作家を目指していきたいと思っている人にも、おすすめしたい本です。時間ができたら、また再読したいです。バルデッサリが語る、ヴェネツィアがまだ牧歌的だったころの話なども、もう一度リマインドしておきたいですし。

@ka2saiki 産業化は不可避的に全域で起きているのでしょうけども、僕はそれを必ずしも悪いことではないと考えます。「人体を血が流れるように、金は社会を貫いて流れるべきだ。」(ヨーゼフ・ボイス)といった状況の実現が理想であり、鬱血状態があれば、その解消は必要となると思いますが。

@ka2saiki 新しい世界のあり方は常に求められていると思います。ただ、アーティストは単独で直接的に制度設計やその実装に携われるような存在ではないでしょうし、オルタナティヴなヴィジョンを提出し、硬直化した状況を刺激したり、挑発したりといった役目を演じることになるのでしょうね。

@ka2saiki というか、あまりにも当たり前で自明の話をツイートをしてしまいました(^^; それはそうと、アートにまつわる不透明なイメージは、作家の側からも解消していけるとよいですね。

僕の場合→アーティストも、ギャラリストも、キュレーターも、クリティックも、ジャーナリストも、それぞれの職能ごとに誠実に活動を継続しているかぎりにおいては、すべての存在がイーブンだという考えです。作品を生み出す作家だけが偉いとは考えません。すべてのプロセスにかかわる人々が重要です。

http://twilog.org/n291/date-120711/allasc