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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

西村智弘ウェブサイト | 実験映画とアニメーション

実験映画とアニメーションの関係を考えるとき、二つの方向を考えることができる。ひとつはアブストラクト(抽象)であり、もうひとつはシュルレアリスム(超現実主義)である。アブストラクトとシュルレアリスムは、20世紀初頭の前衛芸術運動の重要なテーマであった。前衛(アヴァンギャルド)映画は、前衛芸術運動から生まれた実験映画だが、そこにはすでにアニメーションによる作品が登場している。

前衛映画のひとつに絶対映画と呼ばれるものがある。これは、1920年頃に誕生した純粋抽象の映画で、ワルター・ルットマン、ヴィキング・エッゲリング、ハンス・リヒターが代表的な作家である。とくにエッゲリングやリヒターは、ドイツのダダイズムと深く関わっていた。彼らが抽象映画を制作する上で考えたことは、絵画を時間的に(音楽的に)展開することであったが、このときアニメーションの技法が活用された。

1930年代には、音楽と形態の運動を一致させる抽象アニメーションが生まれている。絶対映画の影響を受け、そうした作品を制作したのがドイツのオスカー・フィッシンガーである。またイギリスでは、レン・ライやノーマン・マクラレンが同様の作品をつくっている。この二人は、フィルムに直接作画するなどアニメーションのさまざまな実験を行ったことでも知られている。1930年代には、日本でも荻野茂二らによって抽象アニメーションが制作されている。

一般にシュルレアリスム映画は、サルバドール・ダリルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』(1928年)に代表されるように、基本的に実写の映像であってアニメーションではない。しかし、たとえばレン・ライは、ロンドンのシュルレアリスム運動に参加して絵画を制作していた。彼の処女作の『テュサラヴァ』(1929年)は、ポリネシアの土着芸術から影響を受けたアニメーションだが、これを一種のシュルレアリスム映画と見なすこともできよう。

その後、フィッシンガーとレン・ライはアメリカに移住し、マクラレンは一時アメリカにいてカナダに移った。彼らの作品が戦後の実験映画に与えた影響は大きかった。戦後のアメリカに台頭した実験映画はアンダーグラウンド映画と呼ばれるが、抽象アニメーションも数多く制作されている。ハリー・スミス、ホイットニー兄弟、ジョーダン・ベルソン、ロバート・ブリアらが主な作家で、スタン・ブラッケージも晩年に抽象アニメーションを試みた。彼らの抽象映画は、フィッシンガー、レン・ライ、マクラレンの作品から多くの技法を学んでいる。

アンダーグラウンド映画では、スタン・ヴァンダービークやラリー・ジョーダンのようにコラージュ・アニメーションを手がける作家もいた。もともとコラージュという手法は、ダダイズムシュルレアリスムで多用されたものである。コラージュ・アニメーションに前衛美術との関連性を指摘することもできよう。

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