Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

[資料 2015-09-04]中平卓馬、言葉を撮る。

◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2011年06月08日 - Twilog

海外、カラー、デジタルということで、やはりずいぶん雰囲気が変わりますね。さて、今回も展示に中平さんは現れるんでしょうか?<@genmegane 佐久間元写真展『ICELAND』 TAPgallery http://j.mp/mCLTub http://moby.to/yk2ny0

http://twilog.org/n291/date-110608/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2011年06月09日 - Twilog

中平卓馬さんが撮る文字の写真「森山神社」「東照寺」「Casa Blanca」「友琉館」等々は、森山大道東松照明スペイン語、沖縄などの過去の記憶と結びついているとされています。そこから、なぜ佐久間元さんの展示に中平卓馬さんが現れることがあるのか?ということを考えてみると、

[続き]ついつい、とある想像をしてしまいます。つまり、中平元=佐久間元=元ということが、中平卓馬さんが展示に足を運ぶもう1つの理由になっているのではないか?ということです。中平さんがアルコールと薬物によって昏倒し逆行性記憶喪失を患ったのは1977年ですが、

[続き]復帰後初の写真は1978年に『アサヒカメラ』で発表されています。そこには、療養中に訪れた沖縄で撮影された息子・元さんの写真もあります。そこでさらに思いつきですが、その写真をなぜ中平さんが撮って選んだのか、という理由は、名詞と実在と実在の影(すなわち写真)

[続き]というこの3つの関係(あの「元」、この「元」、あの性とこの性の入り混じった「元」)の輻輳状態に求められるのではないでしょうか。目の前にある「なにものか」かが、言葉であり、対象(もの)であり、その両者の混交物であるというふうな感覚が中平さんのなかで、

[続き]激しくうごめくとき、彼はそれに(それを写真に撮ることを)欲望するのだというか。名前はあの元(中平元)→ここに実在するのはこの元(佐久間元)→あの元の名前が付いているがあの元ではないこの元の写真展、あの森山(大道)→この森山(神社)→あの+この森山(写真化した森山)

[続き]……というふうに、考えてみたり、考えてみなかったりしましたが、落とし所がよくわからないし、尻切れトンボですが、筋道をもう一度検証するのもめんどうなので、今日のところはとりあえずこれにて。以前からの思いつきも、文字にするとちょっとうまくいかないというか。

中平卓馬は基本的にすべて言葉を撮っていると思います。言葉にまつわる記憶があって対象に反応、その後にフレーミング=形に行くというか。詳しくは改めて。畑で野良作業をするおばさんの写真が、最近めっきり減ってしまったのも注意すべきポイントかもしれません。<@blepharismatter

http://twilog.org/n291/date-110609/allasc